【10位】メアリー1世 (イングランド女王)

メアリー1世 (イングランド女王)

メアリー1世(Mary I, Mary Tudor, 1516年2月18日 - 1558年11月17日)は、イングランドとアイルランドの女王(在位:1553年7月19日 - 1558年11月17日)。ヘンリー8世と最初の王妃キャサリン・オブ・アラゴン(カスティーリャ女王イサベル1世とアラゴン王フェルナンド2世の娘)との娘として、グリニッジ宮殿で生まれた。後述するようにイングランド国教会に連なるプロテスタントに対する過酷な迫害から、ブラッディ・メアリー(血まみれのメアリー)と呼ばれた。

Mary I, Mary Tudor, 1516年2月18日 - 1558年11月17日

熱心なカトリック信者であるメアリー1世は、父ヘンリー8世以来の宗教改革を覆し、イングランドはローマ教皇を中心とするカトリックに復帰した[2]。メアリーはプロテスタントを迫害し、女性や子供を含む約300人を処刑したため、「ブラッディ・メアリー」と呼ばれた。処刑された者の中には、トマス・クランマー、ヒュー・ラティマー、ニコラス・リドリーらがいる。

【9位】マイラ・ヒンドレー

マイラ・ヒンドレー

1963年から65年にかけて、少なくとも5人の少年少女をレイプや拷問の末に殺害した通称「ムーア殺人事件」の犯人。

「ムーア殺人事件」の犯人

1960年代、英国史上最も冷酷といわれる、少年ばかりを狙った連続殺人事件の犯人。恋人のイアン・ブレイディーと共に少なくとも5人の拷問殺人を犯している。

10代の少年少女をムーア(荒地)に連れ出し、二人してレイプを繰り返した後に首を切り裂いたり、自宅に拉致監禁して拷問しながら殺害するまでの一部始終を、写真やテープに記録したりしていた。

【8位】イサベル1世 (カスティーリャ女王)

イサベル1世 (カスティーリャ女王)

イサベル1世(Isabel I de Castilla, Isabel la Católica, 1451年4月22日 - 1504年11月26日)は、トラスタマラ朝のカスティーリャ女王(在位:1474年 - 1504年)。夫フェルナンド2世と共にカトリック両王と称される。

イサベル1世(Isabel I de Castilla, Isabel la Católica, 1451年4月22日 - 1504年11月26日)

熱狂的なカトリック教徒であったイサベルは、他宗教の民衆を執拗に追放・殺戮し、また他宗教からキリスト教へ改宗した民衆に対したびたび異端審問を行い、財産の没収・追放・処刑等を行っている。ユダヤ人だけで2000人以上が火刑に処された。

【7位】ビヴァリー・アリット

ビヴァリー・アリット

「ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome)」と呼ばれる病気がある。
 1972年には、そのバリエーションとして「代理ミュンヒハウゼン症候群(Munchhausen Syndrome by Proxy)」なるものが存在することが指摘された。「代理」とはつまり他人のからだを使うのだ。自分に近しい者を傷つけたり、病気にしたりして、周囲の関心を惹くのである。
 本件の主人公、ビヴァリー・アリットもこの病気を患っていた。そして、彼女の職業は、なんと看護婦だった。

ビヴァリー・アリット

1990年代初頭イギリスで起きた奇怪な事件の犯人。彼女の職業は看護婦であった。幼い患者たちに薬品を投与して心停止させ4人を殺害、9人に重傷を負わせた。

彼女は幼いころからミュンヒハウゼン症候群(わざと自傷してまわりの気を引く)であったが、この場合、代理ミュンヒハウゼン症候群なるものの存在が指摘された。

逮捕後は自傷行為は相変わらずで、右の乳房の異常な腫れを訴えた。調べてみたら、彼女は自分で乳房に水を注入していた。他にも、虫垂炎を偽って医者に手術をさせたとか、ハンマーで手足を潰して医者に通っていたとか、手術しないと摘出できないほどカテーテルを尿道に突っ込んだりなどが裁判で明らかになった。

【6位】ベル・ガネス

ベル・ガネス

結婚した相手が次々と不可解な死を遂げ、多額の保険金や遺産を手にしてアメリカ史上もっともお金持ちとなった女殺人鬼と呼ばれるベル・ガネス

1859年ノルウェーに生まれる。

1800年代末から1900年代初頭、ノルウェーからアメリカにわたった凶悪犯。数度にわたる保険金詐欺(火災や夫の死亡)を繰り返した後、「ロンリーハートキラー(未亡人殺人鬼)」と呼ばれる結婚詐欺を繰り返し、自分の子供3人をふくむを16人を少なくとも殺害した。結局ベル・ガネスは母屋の火災により死亡し首無し死体で見つかった。愛人のレイ・ランフィアが放火の罪で有罪となる。

しかし数年後、捕らえられていたレイは衝撃的な事実を牧師に告げることとなる。火災現場の首無しのベルは拾ってきた浮浪者だったのだ。ベルのその後は誰も知らない。

【5位】メアリー・アン・コットン

メアリー・アン・コットン

メアリー・アン・コットンは、英国の女性大量殺人者と呼ばれています。彼女は砒素で5人の夫と12人の子供を殺害しました。

彼女は砒素で5人の夫と12人の子供を殺害しました。

1800年代中ごろのイギリスの毒殺魔。結婚して夫と子供を毒殺し全滅させると、再婚し、また一家を全滅、また再婚し全滅・・・。はたまた義兄や実の母親そして愛人、近所の豚までも自分の周りのすべてを毒殺していった、少なくとも15人が殺されたが、理由は良くわからなかった。当然、死刑となった。

【4位】イルゼ・コッホ

イルゼ・コッホ

イルゼ・コッホ(Ilse Koch,1906年9月22日-1967年9月1日)はブーヘンヴァルト強制収容所所長の妻であり、女性看守。彼女は、囚人に対するサディスト的な拷問行為及び好色さで知られている。また、囚人の皮膚で工作を行った事でも有名。

Ilse Koch,1906年9月22日-1967年9月1日

ナチスの女性看守。彼女は、囚人に対するサディスト的な拷問行為及び好色さで知られている。
夫が収容所の所長の地位にあることを楯に、収容所の構内で馬を乗り回したり、囚人に鞭を打ったり、囚人に対して虐待行為を行った。さらに、死んだ囚人の皮膚でランプシェードやブックカバー、手袋を作るなどの常軌を逸した行動のみならず、刺青をしている囚人がいるとその囚人を注射で薬殺してから皮を剥いで収集したりさえしたとされている。ただし、戦後の裁判においても、そうした行為を具体的に証言できる者はなかった。こうした行状のため、囚人らや働いていた親衛隊員達からブーヘンヴァルトの魔女と呼ばれた。

【3位】イルマ・グレーゼ



イルマ・グレーゼ

イルマ・グレーゼ(Irma Grese,1923年10月7日 - 1945年12月3日)はアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所(以下「アウシュビッツ強制収容所」と称する)ならびにベルゲン・ベルゼン強制収容所の女性看守。

Irma Grese,1923年10月7日 - 1945年12月3日

アウシュビッツ強制収容所の囚人女医ジゼラ・ペルルによると、風貌は美しい天使の如き無垢な顔の少女であったが、女性看守の中では最も残酷な看守であり、ユダヤ人女性の乳房に鞭を振るって大ケガをさせ、それに心的快感を得ると言うサディスティックな側面を持っていたと言う。

また、ヨーゼフ・メンゲレらとの醜聞の噂も絶えず、堕胎手術を頼んだ事もあったとされる。

さらに、ガス室行きが決定された囚人に犬をけしかけて噛み付かせたりする行為等、収容所を説明する数々の文献には悪名高き者として取り上げられる事も多く、ベルゲン・ベルゼン強制収容所の元収容者、バリー・スパンヤードは解放後にイルマの悪事の数々を自著に綴った上で「石の心を持つ女」と激越に批判している。弱冠22歳で死刑

【2位】キャサリン・ナイト

キャサリン・ナイト

2000年オーストラリアの猟奇殺人犯。

2000年オーストラリアの猟奇殺人犯。

2000年オーストラリアの猟奇殺人犯。食肉処理会社勤務。普段はおとなしい主婦であるが、些細なことで突然気性を荒げるキャサリンは、ある日いつものように逆上し、夫を刺し殺した。

殺されたジョンは、出かけるたびに浮気を疑い豹変するキャサリンの気性の荒さに幾度となく悩まされていた。たまらず前夫のデイヴィッドに相談すると、前夫もキャサリンのヒステリーや暴力に悩まされ別れたという。アイロンで殴られたり、子供を線路に置き去りにしたり、知り合いの女性に襲い掛かったりと・・。

ジョンは意を決し、キャサリンに別れを告げると、ハサミで胸を刺された。その時は怪我ですんだものの、別れの夜についに食肉処理用のナイフで滅多切り(37箇所)にされてしまう。さらに夫の肉を調理して子供たちに食べさせたのだった

【1位】バートリ・エルジェーベト

バートリ・エルジェーベト

バートリ・エルジェーベト/エリーザベト・バートリ(マジャル語:Ecsedi Báthory Erzsébet、ドイツ語:Elisabeth Báthory von Ecsed、スロバキア語:Alžbeta Bátoriová-Nádašdy 、1560年8月7日-1614年8月21日)は、ハンガリー王国の貴族。史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。

史上名高い連続殺人者とされ、吸血鬼伝説のモデルともなった。「血の伯爵夫人」という異名を持つ。

夫と死別後に残虐趣味はエスカレートしたようである。当初は領内の農奴の娘を誘拐したりして惨殺していたが、やがて下級貴族の娘を「礼儀作法を習わせる」と誘い出し、残虐行為は貴族の娘にも及ぶようになった。残虐行為は惨く、歳若い娘を「鉄の処女(拷問器具)」で殺し、その血を浴びたり、拷問器具で指を切断し苦痛な表情を見て笑ったり、使用人に命じ娘の皮膚を切り裂いたり、性器や膣を取り出し、それを見て興奮しだすなど、性癖異常者だったという。

裁判の証言によると、残虐行為には棒で叩く、鞭打つ等の通常の折檻の他、娘達の皮膚をナイフや針で切り裂いたり、性器や指を切断すると言った行為が行われ、エルジェーベトの寝台の回りには、流れ落ちた血を吸い込ませるために灰が撒かれていたという。また、内側に鋭い棘を生やした球形の狭い檻の中に娘達を入れて天井から吊るし、娘達が身動きするたびに傷付くのを見て楽しむこともあった。さらに身体の具合が悪いときには、娘達の腕や乳房や顔に噛み付き、その肉を食べたともいう。同性愛、多淫、黒魔術を行ったなどの証言もあった。

被害者の数は、エルジェーベト本人の記録では650人だという。

出典

【悪女】史上最も残虐非道な女性ランキング・ベスト10【猟奇的】