660 :壷  1/6:03/05/06 23:26
これは俺の体験の中で最も恐ろしかった話だ。 

大学1年の秋頃、俺のオカルト道の師匠はスランプに陥っていた。 
やる気がないというか、勘が冴えないというか。 
俺が「心霊スポットでも連れて行ってくださいよ~」と言っても上の空で、
たまにポケットから1円玉を4枚ほど出したかとおもうと手の甲の上で振って、 
「駄目。ケが悪い」とかぶつぶつ言っては寝転がる始末だった。 
それがある時、急に「手相を見せろ」と手を掴んできた。 
「こりゃ悪い。悪すぎて僕にはわかんない。気になるよね?ね?」 
勝手なことを言えるものだ。
「じゃ、行こう行こう」
無理やりだったが、師匠のやる気が出るのは嬉しかった。 

どこに行くとは言ってくれなかったが、俺は師匠に付いて電車に乗った。
着いたのは隣の県の中核都市の駅だった。
駅を出て、駅前のアーケード街をずんずん歩いて行った。 


661 :壷  2/6:03/05/06 23:27
商店街の一画に、『手相』という手書きの紙を台の上に乗せて座っているおじさんがいた。 
師匠は親しげに話しかけ、「僕の親戚」だという。
宗芳と名乗った手相見師は、「あれを見に来たな」と言うと不機嫌そうな顔をしていた。 
宗芳さんは地元では名の売れた人で、浅野八郎の系列ということだった。 
俺はよくわからないままとりあえず手相を見てもらったが、女難の相が出てること以外は特に悪いことも言われなかった。
金星環という人差し指と中指の間から小指まで伸びる半円が、強く出ていると言われたのが嬉しかった。
芸術家の相だそうな。
「先輩は見てもらわないんですか?」と言うと、宗芳さんは師匠を睨んで「見んでもわかる。死相がでとる」。
師匠はへへへと笑うだけだった。

夜の店じまいまできっかり待たされて、宗芳さんの家に連れて行ってもらった。大きな日本家屋だった。
手相見師は道楽らしかった。 


664 :壷  3/6:03/05/06 23:27
晩御飯のご相伴にあずかり、泊まって行けと言うので俺は風呂を借りた。 
風呂から出ると、師匠がやってきて「一緒に来い」と言う。 
敷地の裏手にあった土蔵に向かうと、宗芳さんが待っていた。 
「確かにお前には見る権利があるが、感心せんな」 
師匠は「硬いことを言うなよ」と、土蔵の中へ入って行った。 
土蔵の奥に下へ続く梯子のような階段があり、俺たちはそれを降りた。今回の師匠の目的らしい。 
俺はドキドキした。師匠の目が輝いているからだ。
こういう時はヤバイものに必ず出会う。 

思ったより長く、まるまる地下二階くらいまで降りた先には、畳敷きの地下室があった。 
黄色いランプ灯が天井に掛かっている。 
六畳ぐらいの広さに壁は土が剥き出しで、畳もすぐ下は土のようだった。 
もともとは自家製の防空壕だったとあとで教わった。 


665 :壷  4/6:03/05/06 23:28
部屋の隅に異様なものがあった。 
それは巨大な壷だった。俺の胸ほどの高さに抱えきれない横幅。 
しかも見なれた磁器や陶器でなく、縄目がついた素焼きの壷だ。 
「これって、縄文土器じゃないんスか?」 
宗芳さんが首を振った。
「いや、弥生式だな。穀物を貯蔵するための器だ」 
そんなものが何でここにあるんだ?と当然思った。 
師匠は壷に近づくと、まじまじと眺めはじめた。 
「これはあれの祖父がな、戦時中のどさくさでくすねてきたものだ」 
宗芳さんは俺でも知っている遺跡の名前をあげた。 
その時、師匠が口を開いた。 
「これが穀物を貯蔵してたって?」 
笑ってるようだ。 
黄色い灯りの下でさえ、壷は生気がないような暗い色をしていた。 
宗芳さんが唸った。 
「あれの祖父はな、この壷は人骨を納めていたという」 


666 :壷  5/6:03/05/06 23:28
「見えると言うんだ。壷の口から覗くと、死者の顔が」 
俺は震えた。
秋とはいえまだ初秋だ。肌寒さには遠いはずが、寒気に襲われた。 
「ときに壷から死者が這い上がって来るという。
 死者は部屋に満ち、土蔵に満ち、外から閂をかけると、町中に響く声で泣くのだという」 
俺は頭を殴られたような衝撃を受けた。
くらくらする。頭の中を蝿の群れが飛び回っているようだ。 
鼻をつく饐えた匂いが漂い始めた。
まずい。この壷はまずい。霊体験はこれでもかなりしてきた。その経験がいう。 
師匠は壷の口を覗き込んでいた。
「来たよ。這いあがって来てる。這いあがれ。這いあがれ」 
目が爛々と輝いている。
耳鳴りだ。蝿の群れのような。
今までにないほどの凄まじい耳鳴りがしている。 


667 :壷  6/6:03/05/06 23:30
バチンと音がして灯りが消えた。消える瞬間に、青白い燐が壷から立つのが確かに見えた。 
「いかん、外に出るぞ」
宗芳さんが慌てて言った。 
「見ろよ!こいつらは2千年経ってもまだこの中にいるんだよ!」 
宗芳さんは喚く師匠を抱えた。 
「こいつら人を食ってやがったんだ!これが僕らの原罪だ!」 
俺は腰が抜けたようだった。
「ここに来い。僕の弟子なら見ろ。覗き込め。この闇を見ろ。
 此岸の闇は底無しだ。あの世なんて救いはないのさ。
 食人の、共食いの業だ!僕はこれを見るたびに確信する! 
 人間はその本質から、生きる資格のないクソだと!」 

俺はめったやたらに梯子を上り逃げた。 
宗芳さんは師匠を引っ張り出し土蔵を締めると、「今日はもう寝て明日帰れ」と言った。 
その夜、一晩中強い風が吹き俺は耳を塞いで眠った。
その事件のあと、師匠は元気とやる気を取り戻したが、俺は複雑な気持ちになった。