http://karapaia.livedoor.biz/archives/52171576.html引用


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 人の手で悲劇が引き起こされてしまったとき、加害者はもとより、ときには人類そのものに対しても怒りの念を抑えることは難しい。しかし、そうした酷い状況においては「許す」ことこそが、心を解放し、明るい未来につながるということを、先人たちの知恵が教えてくれている。

 だが人は簡単に恨みに取り憑かれてしまう。なぜなら許すよりも恨むほうが簡単で楽だからだ。それゆえにこれから紹介する25人が見せた許しにはきっと驚かされることだろう。


25. 町を大破した日本人兵を許したブルッキングズ町の住人

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 第二次世界大戦の最中、旧日本海軍の藤田信雄は首脳部による単独命令で、オレゴン州の海岸沿いを爆撃した。(この辺の経緯はアメリカで伝えられているものと日本とで差があるようなので、詳しくはwikipediaを参照のこと)終戦後、藤田は爆撃した森に囲まれた小さな町ブルッキングズを訪れ、住人に許しを請うた。後悔と謝罪の証として、彼は藤田家に先祖代々伝えられてきた400年前の刀を町に寄贈した。ブルッキングズ町の住人は藤田を許した。寄贈された刀を親善大使「藤田」の名とともに地元の図書館へ展示することにした。


24. 父親を殺した母親を許したスティーブン・オーウェンズ

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 母親が雇った殺し屋によって父親が殺されるのを目撃したスティーブン・オーウェンズは、その後13年間に渡り、刑務所にいる母親との面会を拒否した。2009年8月23日、彼が母親との面会を決意してから全てが変わる。3時間にわたって本心を打ち明け合ったのち、オーウェンはついに母親を許した。


23. 父親を轢いたドライバーを許したブランドン・ビッグズ

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 ブランドン・ビッグズの父親は酔っぱらい運転の車にひかれて、残酷な死に方をした。事故発生後、運転手は彼の父親を車で自宅まで運び、ガーレジの中にそのまま放置したのだ。医療関係者によれば適切な処置を受けていたら、死なずに済んだらしい。あり得ない事件である。それでもブランドンはそのドライバーを許した。


22. 娘を殺した黒人を許したエイミー・ビールの家族

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 エイミー・ビールは南アフリカで実施されていたアパルトヘイトの反対運動をしていたが、白人への反感を抱く黒人によって殺害された。しかし彼女の両親は娘の死に悲しみに暮れたものの、娘を奪った政治的状況を理解すると、犯人を許し、南アフリカの若者の支援を目的とする慈善団体「エイミー・ビール基金」を設立した。


21. 家族全員を殺した犯人を許したイマキュリー・イリバジザ

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1994年のルワンダ虐殺で、イマキュリー・イリバジザは家族全員を失った。小さなバスルームに隠れて命拾いした彼女は、なんと家族を殺した人たちを許すことにした。怒りや憎しみは自分自身を駄目にしてしまうと感じたからだそうだ。後になって、ベストセラーとなった「生かされて」を執筆し、虐殺で孤児となった子供たちを支援するレフト・トゥ・テル慈善基金を設立する。


20. 兄を惨殺した犯人を許したアンソニー・コロン

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 愛する人を失うことは大きな打撃となる。しかもそれがむごたらしい殺されかたであればなおさらだ。アンソニー・コロンはこれを身をもって知ることになる。1992年6月13日、彼の兄が3人の男に銃で射殺された。当時の彼は、「全ての人間、全ての物が憎い」とCNNのインタビューで語ったほど、怒りと憎しみに捕われていた。数年後、結婚し、信仰を見出すと、犯人たちを許した。しかも、そのうちの1人とは親友にすらなったのだ。


19. 命を奪われそうになった犯人を許したローマ教皇ヨハネ・パウロII世

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 1981年、当時のローマ教皇は彼の命を狙った男によって4発の銃弾を浴び、緊急手術室へ運ばれるほどの重傷を負った。しかし身体が回復すると、刑務所の犯人の下を訪れ手を差し伸べ、彼は兄弟であり、既に許されていると伝えた。


18. 暴行した犯人と友だちになったマッジ・ロッダ

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 ある日曜日、教会のオルガン奏者マッジ・ロッダが、地元のデニーズでいつも通り朝食を済ませ、トイレに行くと、突然殴られ暴行された。なんとか生き延びた彼女のその後の行為は奇跡だ。犯人を許すだけでなく、友人になったのだ。定期的に刑務所にいる彼を訪れ、手紙を出し、プレゼントすら与えた。「私は根に持つ質です。人が忘れたことでも絶対に憶えています…だからこれは奇跡なんです。」


17. 兄弟を殺された犯人を許したルネ・ネーピア

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 酔っぱらって車に乗り込んだエリック・スモールリッジはすっかり気が大きくなっていた。飲酒運転で事故を起こし、その晩、車に同乗していたミーガン・ネーピアとリサ・ディクソンの2人の命を奪ってしまう。しかしミーガン・ネーピアの兄弟であるルネ・ネーピアはこの悲劇を乗り越え、エリックを許した。ルネはミーガン・ネーピア基金を設立し、エリックとともに学校を訪問しながら飲酒運転撲滅の啓蒙活動を行っている。


16. 米軍兵士を許したベトナム人、キム・フック

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 ベトナム戦争中の米軍の爆撃でキム・フックは家族を奪われたのみならず、自身も17回にも及ぶ大手術を受けるはめになった。だが20年後、ワシントンで催された復員軍人の日の式典で、作戦を指揮したパイロットに出会った彼女は、彼に近寄って許します、と告げた。


15. 父親を殺したテロリストを許したジョー・ベリー

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 ジョー・ベリーの父親はイギリスの国会議員だったが、1994年にIRAの爆弾テロによって殺害された。しかし父親の死後、怒りに任せて犯人を非難しても自身のためにならないと感じたジョーは、実行犯パトリック・マギーとの面会を求めた。

 真剣な3時間の面会の末、2人は今後も会うことにし、やがては友情が芽生えることになる。ジョーは自分がパトリックと同じ境遇を生きたのなら、やはり彼と同じことをしただろう、と悟ったのだ。そしてパトリックもまた自身のテロ行為によって多くの罪のない犠牲者を生み出していたことに気がついた。2人とも心の底から変わった。


14. 息子を殺した犯人の家族を見て、その犯人を許したウィンフレッド・ポテンザ

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 彼女の長男とその婚約者は、1989年酔っぱらい運転の車によって命を落とした。彼女は打ちひしがれ、息子の死を嘆き悲しんだ。ソノマ郡裁判所ではこの事故を殺人事件であると必死に訴えたが、公判が終わり、加害者の青年とその家族の姿を見て考えをあらためた。彼を許し、やがては懸命に弁護するようにまでなったのだ。結局この青年は仮釈放されることになった。


13. 両親を殺した犯人を許したスー・ノートン

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 1990年1月、スー・ノートンのもとにオクラホマの実家で両親が殺害された、という電話がかかってきた。彼女は裁判中、酷く混乱して、何をどう受け止めればいいのかよく判らず、平安が訪れるよう祈ったという。しかし彼女は犯人を許さなくては、という強い衝動に駆られ、何があろうとも他人を愛するよう祖母から教わった、と彼に告げた。やがて犯人のロバートと彼女の間には友情が芽生え、ロバートはキリスト教に帰依することになった。



12. 我が子を殺したチャールズ・C・ロバーツを許したアーミッシュの親たち

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 2006年10月2日、チャールズ・C・ロバーツは生まれたばかりの娘がわずか9ヶ月で亡くなると、逆上しアーミッシュの校舎に15人の女学生を人質に立てこもった。そして5人の少女へ発砲すると、自分自身も撃ち抜いて自殺した。こうした悲劇にも関わらず、犠牲となった少女の家族も含むアーミッシュのコミュニティは、彼の葬式に参列し、残された未亡人を慰めるとともに金銭的な援助を行った。


11. 夫を銃殺したリビア人を許した妻

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 ロニー・スミスは、リビアのベンガジで朝のジョギング中に銃で撃たれ死亡した。化学の教師であった彼は、妻アニーと息子を連れて引っ越してきたばかりだった。彼の死後、アニーはリビア人と襲撃者へ向けて手紙を書き、その思いを伝えた。「あなたたちが何者であるのか判っています。私はあなたたちを愛し、とっくに許しています」と。


10. 自分を半身不随にした女性を許したネッティ・ギブソン

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 2011年8月10日、職場へ運転中だったネッティ・ギブソンの人生は泥酔した女性が運転する車によって大きく変わる。この事故で右腕の骨折と右かかとの粉砕骨折のほか、脾臓、盲腸、腸の3分の2を摘出されることになった。しかもこの運転手はごくわずかな額の保険にしか入っておらず、医療費にもこと欠く有様だった。それから数ヶ月、ネッティは酷くふさぎ込んだが、2012年8月の裁判で加害者の弁護士に向かって「どうか彼女に、もう私は許していますと伝えてください。」と告げた。


9. 自分を虐待していた母親を許したパスカル・カバナー

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 パスカルは母親に虐待されて育った。こうした虐待は彼女が成長し、自立してからも続いた。2010年、73歳になった母親が心臓発作で倒れると、一命を取り留めたものの重い障害が残ってしまう。「最初は面倒なことばかり押し付けて、と怒りが湧いてきました」とパスカルは語っている。しかし数ヶ月もすると怒りは許しへと変わった。「生まれて初めて母を責めるのをやめました。そうしたら、心が安らいだんです。」


8. 実の娘と孫を殺した義理の息子を許したロン・トックネル

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 「この悲劇に悪人はいません。いるのは被害者だけです」と語るのは悲嘆に暮れるロン・トックネルだ。彼は義理の息子セリの手によって、娘と3人の可愛い孫を失ってしまった。セリは一見子供への愛に溢れる完璧な父親に見えた。彼が3人の娘と妻の命を無惨にも奪ったと聞いて誰もが驚いた。しかしロンは悲しみで苦悩しながらも、セリを許すことにした。「あなたは殺人者としての彼しか知らないでしょうが、私は彼が娘と恋に落ち、愛情をもって孫を育てていた人間だったことを知っています。」と語った。


7. シリアルキラーを許したロバート・ルール

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 グリーンリバーの殺人鬼との異名があるゲイリー・リッジウェイは、2003年に38人の女性を殺害したと告白している。犠牲者の家族たちは皆、悲しみと、彼に対する怒りを口にしたが、ロバート・ルールは違った。彼はリッジウェイにこう告げたのだ。「リッジウェイさん、ここにあなたを憎む人たちがいますが、私は違います。きっと信じられないでしょう。でもそうせよと神が言っているのです。許しなさいと。あなたを許しましょう。」


6. 夫をひき殺した犯人を許したパトリシア・マチン

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 2011年、パトリシア・マチンの夫はブライアン・ウィリアムソンの運転する車にひかれて亡くなった。夫の死にもかかわらず、パトリシアが加害者に対する怒りを覚えることはなかった。彼女によれば、これは事故であり、彼に非はないのだという。パトリシアは加害者に手紙で許すことを伝え、彼を励ました。


5. 息子を殺害したオシェア・イスラエルを許した母親のメアリー・ジョンソン

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 メアリー・ジョンソンにとって1993年2月は忘れられない日だろう。彼女の20歳になる息子が16歳のオシェア・イスラエルとの口論の末、射殺されてしまったのだ。「息子は死んでしまった。殺した少年とその母親が憎くて仕方がありませんでした。」こう語るメアリーを責めることなど誰もできないはずだ。

 しかし、オシェアが17年の懲役に服する間、彼女は自らの良心の狭間で大きく揺れた。そして彼を許すことができるのかどうか確かめるため、オシェアとの面会を願うようになる。彼を許したメアリーは今、オシェアとともに許すことの大切さを様々な場所で伝えている。


4. 発砲した少年を許した警官のスティーブン・マクドナルド

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 セントラルパークのパトロール中、新米警官のスティーブン・マクドナルドとその上司は自転車泥棒と思わしき3人の少年に職務質問をした。そのうちの1人、シャボドという少年が銃を取り出しスティーブンに向けて3回発砲した。この事故により全身に麻痺が残り、人工呼吸器まで手放せなくなった彼だが、恨みを抱くのではなく犯人を許そうと決意をした。

 彼は獄中のシャボドへ手紙を書き、2人は許しと暴力反対のメッセージを世に伝えようと誓い合うようになった。しかし不運なことに、シャボドは釈放されてからわずか3日後、バイク事故でこの世を去っている。


3. 自分に脳障害を負わせた少年を許したマリソン・サルモン・ヘッジズ

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 ビルの4階からショッピングカートを落とすという2人の少年の悪質ないたずらによって、マリソン・サルモン・ヘッジズは脳に重い障害を負う。この事故により彼女は昏睡状態に陥り、左目の視力も失うことになった。大けがを負った彼女だが、少年たちにわだかまりを抱いていない。あるインタビューで彼女はこう語っている。「2人とも元気だといいけど。私、彼らのことを本当に気の毒に思うんです。」


2. 3発の銃弾を受けても犯人を許したピアース・オファリル

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 ピアース・オファリルは2013年7月20に12人が殺害されたコロラド銃撃事件の被害者の1人だ。ピアースと他の53人はこの悲劇を生き延びることができたが、彼はその事件で3発の銃弾を受けた。だが彼は、あるインタビューで犯人に対する気持ちを訊かれると、もう心の底から許していると述べた。ピアースが犯人に感じていたのは憎しみではなく、悲しみだったのだ。


1.ホロコーストから大勢の命を救ったコーリー・テン・ブーム

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 彼女は人類史上最高に勇敢で、傑出した女性の1人だろう。コーリー・テン・ブームは自らの命をかけて、ホロコーストから大勢の命を救ったのだ。しかし密告によって、コーリーと家族は逮捕され、父親と姉が亡くなっている。

 コーリー自身は事務手続きのミスによって運良く収容所から釈放された。その後のある日、彼女が教会で神の許しを説いていると、そこにいた男性が前に進み出て、かつて犯した罪の許しをコーリーに請うた。彼はかつて彼女が収容されていたラーフェンスブリュック収容所の元衛兵だった。祈りの後、コーリーは許しの力を悟ったという。

via:list25・原文翻訳:hiroching

 ここに取り上げられている例はどれも稀なケースであり、だからこそ驚くべき行為として伝えられているものだ。それだけ「許す」という行為が、いかに難しく、勇気が必要なのかがわかるかと思う。ただ、許すことができるということは、自分の人生を自分の手でつかみ取ることができたということだ。

 このような生き方を選択できるほどの器量がまったくない私だが、そういった人々も存在するという事実は少しの勇気を与えてくれたような気がする。