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アザゼル999

※アザゼルかっぱの独自調査記事が少しございます。記事検索で「アザゼル」と入力すると読む事ができます。ジャーナリストでも物書きでもないので下手な文章ですが、どうぞ読んで行ってください。 各優良サイトのオカルト・政治・芸能・国内ニュース・海外ニュース・歴史・バラエティなどなど、ネット中の様々な情報を紹介していきます。

カテゴリ: 歴史

http://www.fknews-2ch.net/archives/42898714.html引用

今回はサグラダ・ファミリアについてです。

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いつまで経っても工事が終わらない建物

かつては、完成まであと100年とか300年とか好き勝手な事を言っていましたが、つい最近、完成予定が2026年と大幅に短縮され、話題になりました。

あと11年!

 完成予想CGも公開されました。

しかし、そもそも工事が始まったのは1882年。たかが教会を作る程度で何故140年以上もかかるのでしょうか。

例えば、日本一高い建造物「東京スカイツリー」の工期は3年6ヶ月。日本一高いビル「あべのハルカス」は4年2ヶ月です。

これらとの違いはいったい…。

建設がはじまるまで

あまり知られていませんが、サグラダ・ファミリアの建築主は、「聖ヨセフ帰依者協会」。イエスの養父ヨセフを信仰するカトリック系の民間宗教団体です。

ここの会長のボカベッラが、イタリアに旅行した時に、荘厳な教会に感動し「ワシも作りたい!」と思い立ったのが、すべての始まりでした。

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Josep Maria Bocabella
その正体は、書店のオヤジ。


サグラダ・ファミリアは、日本語に訳すと「聖家族贖罪教会」。

聖家族」とは、イエス・キリストの家族(母親のマリアや、養父のヨセフ)のことを言います。彼らへ捧げる教会として、このサグラダ・ファミリア建設プロジェクトはスタートしたわけですね。

また、「贖罪教会」というのは、文字通り「贖罪」のための教会のこと。

そもそも、キリスト教において、人間は罪多き存在なわけですが、その罪を償う方法の一つに「寄付」があるのです。言い方を変えると、この協会の建設資金を寄付することそれ自体が「贖罪」となるという理屈です。

ただ、この聖ヨセフ帰依者協会は60万人もの会員を抱える大きな団体でしたが、その構成員はけっこう貧しい人が多く、初っ端から資金繰りには苦労したようです。

教会を建てるには、なにはともあれ土地が必要になりますが、一等地なぞ購入できるはずもなく、しぶしぶ中心街から外れた土地を購入しました。
※今では、市街地が拡大して中心部になっていますが、当時ここは町外れでした。

なお、購入した土地の広さは驚きの14,700㎡。野球のグラウンドより大きな敷地。
お金がないわりに、ハナからでっかい教会を作る気満々です。

次に必要なのは、素敵な教会をデザインする設計者。

もちろん一流の建築士がいいのですが、何しろ金が無い。それに、そもそもこの教会は贖罪教会。

というわけで、「無償で設計してくれる一流の先生」という無茶な条件で建築家を探し始めました。そうして見つけた建築家が、当時バルセロナ建築学校の教授でもあった、フランシスコ・ビリャールという人物。

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初代設計者のFrancisco de Paula del Villar y Lozano。
スペインの建築家協会の会長とかもやってました。


さらに、建築の顧問として、ジョアン・マルトレルという著名な建築家にも協力してもらうこととなり、万全の体制が整います。

こうして、聖ヨセフの記念日である1882年3月19日、サグラダ・ファミリアの建設がスタートしました。

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当初のデザイン。なんか普通。




ガウディ登場

プロジェクトが始まって1年ほど経ったある日のこと。
設計者ビリャールと顧問マルトレルの間で、仕上げに使う石材のグレードについて意見が別れました。

この時、マルトレルの案の方が安価だったので、会長はマルトレル案を採用してしまいます。これにキレたビリャールは、設計をブン投げて出ていってしまいました。

まぁどうせ元々無償の仕事だったのでビリャールは全然困らないわけですが、会長たちは困ってしまいます。せっかく見つけた設計者なのに。

そこで、顧問のマルセールは、後任に、自分の教え子でもあった若い建築家アントニ・ガウディを強く推薦しました。

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2代目設計者Antoni Placid Guillem Gaudi i Cornet。
当時まだ31歳であった。


ガウディは、今でこそ稀代の天才建築家として高い名声を得ていますが、当時はまだ学校を卒業したばかりの駆け出し建築家。

街灯やショーケースのデザインのように、小さな仕事を行っていました。

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レイアル広場の街灯

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手袋のショーケース(のスケッチ)

サグラダ・ファミリアの設計は、ペーペーのガウディにとってはまさに大抜擢と言える仕事でしたが、はじめは自身の経験不足を理由に、この話を辞退しています。

それに、そもそも当時のガウディは完全な無神論者でした。そんな自分が教会を設計するのはふさわしくないとも考えたのでしょう。

しかし、マルセールはしつこく熱心に口説き続け、ガウディもついには首を縦に振りました。




建築家アントニ・ガウディ

ここで、ちょっと時代は前後してしまいますが、ガウディとはどのような建築家だったのかを見てみましょう。

といっても、技術的・思想的な話は難しくてよく分かりませんので、表面的なとこをサラッとね。

とりあえず、素人でも分かるガウディ建築の最も目を引く外見的な特徴は、曲線・曲面を多用したデザイン。まるで生き物のような、異様な造形です。

言葉ではピンとこないと思いますので、彼の代表作をいくつか。


カサ・バトリョCasa Batllo

大繊維業者ジュゼップ・バッリョ・イ・カザノバスからの依頼を受け、1904年から1906年にかけて改築された邸宅。

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外観

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地味なビフォー※右端

d485be84 美しいモザイクタイルの外壁

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龍の背骨をイメージしたと言われる屋根

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内部の吹き抜け

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玄関


カサ・ミラCasa Mila

実業家ペレ・ミラの邸宅として、1906年から1910年にかけて新築された。

建設当初は、その独特の外観から「石切場」と呼ばれ、忌み嫌われていた。

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溶岩の塊のような外観

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夜景

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バルコニー

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内部

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吹き抜け


グエル邸

スペインの富豪、エウゼビ・グエイ伯爵の邸宅。

グエイ伯爵は、若い頃のガウディが設計した「手袋のショーケース」に一目惚れし、親交を持つようになった。

生涯を通して、ガウディの最大の支援者であり理解者であった。

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外観

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エントランス

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天井

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地下室

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ガウディのパトロン、エウゼビ・グエイ伯爵


グエル公園

エウゼビ・グエイ伯爵とガウディの夢が作り上げた分譲住宅用地。1900年から1914年の間に建造された。

工業化が急速に進むバルセロナにおいて、人々が自然と芸術に囲まれて暮らせる住宅地をテーマに設計された。

なお、当時の人々には理解されず、60軒の分譲計画に対し、売れたのは2軒だけという悲しさ。
※買ったのは、もちろんグエイ伯爵とガウディの2人。

グエイ伯爵が亡くなると工事が中止され、バルセロナ市に公園として寄贈された。今では多くの人で賑わう広場となっている。 

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公園入り口

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トカゲの噴水

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回廊

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高台からの眺望


ガウディも、最初からこのような自然にインスピレーションを得たような有機的な造形ばかりデザインしていたわけではありません。初期はゴシック調であったり、イスラム建築に影響を受けたり、時期によって変遷があります。

それらがやがて融合して、サグラダ・ファミリアのあの独特の造形へと実を結んでいくことになるのです。

ただ、こうしたガウディの作品群をご覧になればお分かりになると思いますが、現代のそこらにある建物とは比較にならないほど自由奔放な設計ですよね。

当時の「建築」というのは、芸術というか金持ちの道楽というか、なんかそういう側面が、現代よりも大きかった事がよく分かります。




再スタート

というわけで、ガウディがサグラダ・ファミリアの2代目設計者の任に就きます。

最初にガウディが行ったのは、ビリャールが設計したデザインの見直し。

すでに、地下の掘削工事だけはビリャールの設計に基づいて進められていましたが、そこの辻褄を合わせつつ、一から設計し直してきます。

こうして、サグラダ・ファミリア建設の長い長い長い長い長い長い長い歴史が始まります。
 

http://www.all-nationz.com/archives/1003555233.html引用

引用:https://boards.4chan.org/int/thread/24883063


スレッド「ナチス・ドイツと大日本帝国、どっちが極悪だと思う?」より

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(海外の反応)


Spain 万国アノニマスさん 
ナチス・ドイツと大日本帝国 、みんなはどちらがより極悪だと思うわけ?


Canada 万国アノニマスさん
日本はひどいことしたけど、ナチスもやってたから互角だな


Spain万国アノニマスさん 
疑いの余地なしで日本


New Zealand万国アノニマスさん 
日本でしょ
ナチスですら生物兵器使ってない


United States of America 万国アノニマスさん 
日本だよ
核攻撃食らった唯一の国ってことは、つまりそういうことだから


↑ Germany 万国アノニマスさん 
そういう事って・・・報復してこないと思って原爆落としたんだろ
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Romania万国アノニマスさん 
連合国が悪いよー連合国が(※ルーマニアは枢軸国)


Finland 万国アノニマスさん 
ナチス 
同じ白人同士で戦争しかけた責任は取らないと


United States of America万国アノニマスさん 
2羽のカラスのうち、どちらがより黒いかみたいな質問だな 


United States of America万国アノニマスさん 
日本は現在アニメやゲームを作ってる
ドイツは特に何も作ってない
なのでナチが悪い


↑ Russian Federation万国アノニマスさん 
アメリカに輸出してないだけで自動車良い服も食料品ゲーム作ってるぞ


↑ Australia万国アノニマスさん 
ドイツ人の作ったゲーム参考
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11 Germany万国アノニマスさん 
 ナチスが悪いドイツ無関係 
これが結論


12 Finland万国アノニマスさん 
ナチス。
日本は自国民(韓国人を除く)を殺したり、一斉に監禁したりしてないから
何か間違ってるか?


↑ United States of America万国アノニマスさん
日本相当えげつない
バターン死の行進とか、731部隊とか例を出すとキリがない 
バターン死の行進は、第二次大戦中の日本軍によるフィリピン進攻作戦において、バターン半島で日本軍に投降したアメリカ軍・フィリピン軍捕虜民間人が、収容所に移動するときに多数死亡したことを言う。全長は120kmで、その半分は鉄道で運ばれ、残りを3日で歩いた。1日平均20km、3日間の行進であった。

http://ja.wikipedia.org/wiki/バターン死の行進

731部隊は、第二次世界大戦期の大日本帝国陸軍に存在した研究機関のひとつ。正式名称は関東軍防疫給水部本部。満州に拠点をおいて、防疫給水の名のとおり兵士の感染症予防や、そのための衛生的な給水体制の研究を主任務とすると同時に、細菌戦に使用する生物兵器の研究・開発機関でもあった。そのために人体実験や、生物兵器の実戦的使用を行っていたとされている。

http://ja.wikipedia.org/wiki/731部隊


13 Finland万国アノニマスさん 
悪どさで言ったらソビエト一択なわけだが 


14 United States of America万国アノニマスさん 
じゃあ日本とドイツ、戦争以来改善されたのはどっちだ? 



↑ United States of America万国アノニマスさん 
それは日本だと言いたい、おかげでHENTAI文化が見られるし


15 Ireland 万国アノニマスさん 
イギリスが悪い 


16 Latvia万国アノニマスさん 
明らかにナチス 
ホロコーストは流石に許せる奴はいない


17 Malaysia万国アノニマスさん 
マレーシアをどちらに植民地化されるか選べたとしたら、日本ではなくドイツがよかった
ガス室送りにされるなら、まあ日本にするけど


18 Finland万国アノニマスさん 
真の悪魔はアメリカと連合国だよ 


19 United States of America万国アノニマスさん
ナチスも日本も大規模な人体実験をしてるからなぁ
日本死の行進拷問してたから今のHENTAI文化があるんだろうか


20 Japan 万国アノニマスさん 
ナチス 
ドイツ人の科学者がアメリカで原爆を作ったりもしたし


↑ Spain万国アノニマスさん 
でも原爆が強力すぎて科学者が研究を途中でやめた、って話もどっかで聞いたな


21 United States of America万国アノニマスさん 
どちらかと言えば日本かな
南京大虐殺、バターン死の行進、中国の村で疫病を広める、731部隊、1974年まで戦争していたと思っていた兵士(小野田さん)、神風特別攻撃隊・・・


22 Australia万国アノニマスさん 
100%日本だな
ドイツは謝ったけど、日本は一度も謝罪したことないんじゃないか


↑ United States of America万国アノニマスさん 
いや、最低50回は謝りまくってるよ、検索すれば出てくる
賠償金数回支払ってるしすべての闘い終結させている一応


23 Denmark万国アノニマスさん 
連合国と日本が悪い


24 Finland万国アノニマスさん 
731部隊とか南京大虐殺とかソースあるの?
証言だけじゃ非現実的な死亡者数とかが多すぎる


↑ Spain万国アノニマスさん 
ま、それはホロコーストにも同じことが言えるな


25 Russian Federation万国アノニマスさん
この国(※ソビエト)が一番悪い
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26 Japan万国アノニマスさん 
連合国悪いと思ってるよ


↑ Finland万国アノニマスさん 
というかアメリカの被害者だろ


26 Poland 万国アノニマスさん  
停戦交渉できたのに無条件降伏突きつけて
原爆でたくさん女性や子供を殺した国が悪くなくて誰が悪いのか


27 United Kingdom(Great Britain) 万国アノニマスさん 
>極悪 
この発想がディズニーアニメか何かの見すぎなのでは?


28 Canada万国アノニマスさん 
”悪”は主観的なものだからな・・・
 

http://www.all-nationz.com/archives/1018645172.html引用

引用:https://boards.4chan.org/int/thread/36279560


スレッド「最も強大な『帝国』」より。

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(海外の反応)


United States of America(USA) 万国アノニマスさん 
人類の歴史上、最も強大だったた『帝国』ってどこだと思う?


Australia 万国アノニマスさん
大英帝国


 United Kingdom(Great Britain) 万国アノニマスさん 
オーストラリアよ、君はよく出来た息子だ


Germany 万国アノニマスさん 
モンゴル帝国でしょ


United States of America(USA)万国アノニマスさん 
モンゴル帝国は人類に対して何ら貢献してないし 
すぐに分裂しちゃって後世に残したものがなかった
どう考えても答えはローマ帝国になる


↑ United States of America(USA)万国アノニマスさん 
ヨーロッパ中心主義者は実際こう信じてるから困る 


↑ United States of America(USA)万国アノニマスさん 
人類をたくさん殺してクール、奴隷にしてクールだと思ってのか
メンタリティーが典型的な野蛮人だぞ


↑ United States of America(USA)万国アノニマスさん 
「パクス・モンゴリカ」という言葉があるでしょ
それにモンゴルは支配地域の貿易を促進したし、
警備を強め警察のプロトタイプと言えるシステムを確立した
モンゴル帝国が最高の帝国だとは言わないが、言われるほど酷い国でもないよ
パクス・モンゴリカ(モンゴルの平和):13世紀から14世紀に渡りユーラシア大陸を支配したモンゴル帝国の覇権による平和で安定した時代を指す。ユーラシア大陸の大部分はモンゴル帝国によって統一され、必然的に陸路による物流が活発になった。帝国領土内の様々な人々が自由に行き交う時代が到来し、モンゴル政府は関税を撤廃して商業を振興した。(http://ja.wikipedia.org/wiki/パクス・モンゴリカ)

Turkey 万国アノニマスさん 
オスマン帝国
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↑ Netherlands 万国アノニマスさん 
オスマン帝国がどうやってアイスランドを支配できたんだ
 

↑ Turkey万国アノニマスさん 
実際、アイスランドは1ヶ月程度オスマン帝国の支配下になってる
1000人程度の女性をかっさらって退却したらしい


Greece 万国アノニマスさん 
ローマ帝国かビザンツ帝国(東ローマ帝国)じゃね?


Russian Federation 万国アノニマスさん 
客観的にみたらローマ帝国
ここほど世界に影響を与えた帝国は存在しない


Colombia 万国アノニマスさん 
かつて支配したあったそうな・・・
El-astronauta-del-Apolo-16-la-Luna-la-NASA-1050x1680


United States of America(USA)万国アノニマスさん 
今のところはローマ帝国
宇宙まで領土を広げたらアメリカ帝国が歴代最強になる


↑ United Kingdom(Great Britain)万国アノニマスさん 
率直に言えばアメリカは中国にすら追い抜かれると思うよ


10 Germany万国アノニマスさん 
1位ローマ帝国
2位モンゴル帝国
3位大英帝国
4位中華帝国(※秦、漢、隋、唐、元、明、清など)
5位スペイン帝国


11 Czech Republic万国アノニマスさん 
神聖ローマ帝国
チェコを支配した唯一の国ですし・・・


12 Benin万国アノニマスさん 
フランス帝国 


↑ Finland万国アノニマスさん 
ベニン共和国の書き込みでワロタ


↑ Benin万国アノニマスさん 
面白がることでもねえよ、この国に誇りを持ってるんだから笑うな


13 United States of America(USA)万国アノニマスさん 
アメリカ帝国(1945~現在)


14 United States of America(USA)万国アノニマスさん 
う~~~む、迷うね
B8O67A-CIAEXnTv


15 Germany万国アノニマスさん 
これは疑いようもなくローマ帝国
キリスト教とギリシャ文明をヨーロッパに広め、法体系や政治システムの基礎を築いた
さらにビザンツ帝国などの後継国もイスラムの侵略を食い止めるなど活躍している


16 Poland 万国アノニマスさん 
イギリス帝国、ローマ帝国、中華帝国のどれか


17 United Kingdom(Great Britain)万国アノニマスさん 
答えは簡単
british


↑ United Kingdom(Great Britain)万国アノニマスさん 
正確にはスリランカも赤く塗りつぶすべき
 

↑ United States of America(USA)万国アノニマスさん 
ヨーロッパ大陸を支配してないところに帝国らしさを感じない


↑ United Kingdom(Great Britain)万国アノニマスさん 
ジブラルタルがあるもんね、はい論破


18 Portugal 万国アノニマスさん 
ポルトガルはガチで近代的で最も歴史ある帝国の1つだった
だが世界的な影響力はどうなのか?と考えるとなんとも言えない
とりあえず支配力に基づいて評価してみると

強すぎローマ大英帝国
そこそ強いスペインポルトガルフランス第一帝政
強い部類大日本帝国オランダ帝国ドイツ帝国ロシア帝国
黒人頂点オスマン帝国


↑ France万国アノニマスさん 
申し訳ないけどポルトガル帝国の評価は無いわー


↑ United States of America(USA)万国アノニマスさん 
いや実際凄かっただろ
ポルトガルが存在してなければ、世界はまだシルクロードを使って交易してたかもしれん


19 Canada万国アノニマスさん
エリートローマ帝国大英帝国 
Goodスペイ帝国ポルトガル帝国
OKロシア帝国ビザンツ帝国
中華帝国
野蛮オスマン帝国⑨フン族


20 Sweden 万国アノニマスさん 
スウェーデン帝国(バルト帝国)
信じられないって?格上の敵を倒して建国し、100年間負けなしだったんだ


21 Norway 万国アノニマスさん 
ローマ帝国の領土を見れば分かる、エジプトやギリシャまで含んでるんだぞ(※西暦300年の世界地図)
World_in_300_CE


22 Finland 万国アノニマスさん 
考えようによってはスイスは強大な帝国
国民はみんな裕福だし、世界最大の銀行に対し誰も攻撃しようとしない


23 Belarus万国アノニマスさん 
ロシア帝国


↑ United Kingdom(Great Britain)万国アノニマスさん 
ロシアの支配国がそれを言っても驚かないな


24 Canada 万国アノニマスさん 
現実的に考えたら大英帝国
西洋社会全体を形成していると言えるし、ほとんどの人がこれを認めざるをえないだろう


25 Canada 万国アノニマスさん 
1.アメリカ帝国
2.イギリス帝国
3.ローマ帝国
4.正直該当なしだが、強いていえばポルトガルとカエル帝国(フランスのアダ名) 


26 France万国アノニマスさん 
オフィシャルランキング 
1位ローマ帝国
2位アケメネス朝ペルシャ
3位マケドニア帝国
4位中華帝国
5位大英帝国
6位モンゴル帝国
中国とイギリスは入れ替え可


27 United States of America(USA) 万国アノニマスさん
ローマ帝国スペイン帝国フランス第一帝政
大きな
その他


28 Sweden 万国アノニマスさん
最も強大だったのはおそらく大英帝国かな
規模も最大だし、基本的に現代世界はイギリスが形成しているから
植民地も歴代最大で圧倒的に国力があったからこそ、英語が世界共通言語なわけだし


29 Macedonia万国アノニマスさん 
ローマ帝国が唯一の正しい答えだよ 

http://netouyonews.net/archives/8679237.html引用

1: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:30:58 ID:p4l
地方の豪農の家に生まれる

イケメンで性格がいいから男からも女からもモテモテで、30過ぎまで親の脛かじってニート

コネで地方の公務員に就職

出張サボってたら国で反乱が起きてて、なんやかんやで反乱軍のリーダー&一城の主に

時代を代表するような知将が続々あつまってきて何やかんやで天下統一

クッソ楽勝な人生ですわ 


ryuhou

2: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:33:03 ID:R9l
何度も死にかけとるんですがそれわ

>>2
あれだけ死にそうなアクシデントに巻き込まれても生き延びる天性の運があるってこともある意味イージーモードやろ

>>3
一歩間違えれば死の状況が何度もある時点でイージーモードとは言わんやろ

>>4
一歩間違えれば死ですんでるからイージーモードなんやで
並みの人ならそこで死んどる

>>7
それイージーモードかハードモードかの問題じゃなくて本人の実力の問題じゃん

5: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:38:39 ID:nPO
確かに同じ成り上がりの朱元璋と比べるとイージーモードやな

6: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:39:10 ID:iVX
つまんね
農民から皇帝になる歴代でもハードモードの成りあがりですから

>>6
朱元璋「・・・」

>>8
歴代で明だけじゃないだろ
歴代でみればハードだしなりあがりだよ

10: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:41:58 ID:sZA
イッチにとっちゃ秀吉もイージーなんか?

>>10
秀吉は自分の才覚でなりあがってるやん
でも劉邦の成り上がりの一番の要因はライバルがバカで残酷すぎたから

>>15
人望も才能やで

>>16
いくら人望あっても、ライバルが項羽じゃなくて曹操だったら負けてたで

>>18
そうそうは全盛期でも三国のうちのひとつだけどこううは全盛期には天下取ってたんだぞ
こううの方が上だろ

>>19
いや、そういう問題じゃなくて。
例えば項羽が曹操くらい頭がよければ鴻門の会で死んでる

>>21
そのときはこううも死んでるんですが

>>22
鴻門の会すら知らんのか・・・

>>23
それおまえだろ
はんぞうが殺させようとしたけどはんかいがりゅうほうがやられたらこううを殺すかまえだからやれなかったんだろうが

>>28
いや、項羽がその気なら周辺の兵が樊?もひっとらえてまとめて殺してたぞ

>>30 
それは勝手な想像じゃん 
事実はりゅうほう自信がはんかいのおかげで助かったから功績に対して報いられただろ 
史記読めよ常識だぞ 

>>36
史記を読んでるなら、項羽は会の前に劉邦を殺す役目の明朝兵士たちの士気をあげるためにご馳走を振舞ったって文もみたやろ
だいたい范増は兵まで用意して綿密な計画立ててたのに、贈り物と宴会にいい気になって項羽が劉邦を見逃したから「豎子、ともに謀るに足らず」といったんやで

>>39
で、はんかいがりゅうほう救った部分も読んだの
それとさっきからこの話題から逃げてるけど歴代皇帝で比較してりゅうほうがイージーだと言えるの?
りゅうほうよりイージーな方が多いしりゅうほうがハードな部類だろと

>>15
劉邦の将に将たるの才覚は歴史上でも最高レベルで君主の模範だぞ
人材登用では右に出るものないレベル

>>17
実際はほとんど蕭何と張良がやっとるやん
ていうか、生まれた場所に蕭何がいた時点でイージーモード

12: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:42:24 ID:R9l
もう結論ありきで凝り固まっとるから話が噛み合わん…

13: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:42:38 ID:NuA
ハードモードは全員死んでそう

14: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:44:28 ID:iVX
歴代皇帝で比較してみろよ
明らかにハードだから

25: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:54:33 ID:CHR
始皇帝「ワイはもともと王族やし」
光武帝「人望なら負けへんで」
李淵「ムスッコが超有能やし楽勝」
趙匡胤「汚れ役はオトウットにやらせればへーきへーき」
フビライ「大正義モンゴル」

24: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:54:11 ID:cyv
よく知らんが劉邦は自身の能力と言うより、人を引きつけてうまく使ったから天下取れたんやろ?

個人としては項羽の方が優れていたのかもしれんが

26: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:54:53 ID:iVX
あとそうそうもりゅうび助けたりした結果のちにりゅうびにくるしめられてるし

>>26
鴻門の会の経緯ぐぐってこいや

>>26
さては始皇帝の人生しらんな?
王になるまでクッソ大変やったんやで。それこそ劉邦とは比べ物にならんわ

>>26 
歴代皇帝って始皇帝だけかよ 
歴代皇帝の中で比較したらりゅうほうはハードな部類だっていってんだよ 

29: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)00:58:51 ID:iVX
まず歴代皇帝について調べて比較しろよ
そしてハードノーマルイージーに三等分してみたらりゅうほうがイージーはありえない

32: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:06:30 ID:QEh
いつも思うけど劉邦は家族が基本的に不幸せ
とくに悪女うんぬんいわれる嫁
旦那のせいで良い家の娘なのにボロボロに働いたり人質になったりエラい目に…

33: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:06:47 ID:XRd
一番ハードモードは始皇帝かな
幼い頃の境遇も壮絶だし、誰も成し得たことのないことをするのは大変

34: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:09:41 ID:XRd
中国史の成り上がり皇帝では
朱元璋>>>>>>>>>劉邦>>>劉秀

35: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:11:18 ID:FqG
項羽に人望があって張良が仲間になっていなかったりって妄想がありなら、そりゃイージーモードだよな
イッチがそう思うってだけのスレだから否定はするだけ無駄やで

41: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:24:43 ID:JLt
時代を考えろよ
劉邦のやることなすことの殆どが後に模範になっとるわけだし

国家元首のパイオニアって言っても過言じゃない

>>41
それを言うなら劉邦は始皇帝ならっただけやろ
事実、蕭何が秦の政治に関する書物を見て勉強したからあれだけ負けても戦い抜けた

>>42
地方の小役人にすぎなかったそのしょうかを重用して能力発揮させたのがりゅうほうの能力であり偉大さなんだよ

>>43
逆や
元々反乱軍のリーダーは蕭何だったんだけど、蕭何が劉邦の方が人が集まるという事で担いだ
蕭何がプロデューサーやで

>>45
その人望こそ能力であり偉大さだししょうかという人材を使いこなすのも能力だろ
あと歴代皇帝で比較の話題から逃げないで

>>46
歴代の初代皇帝の話なら劉邦よりイージーなのは劉秀、武帝、李淵、クビライ、チンギス・ハーンくらいやろ
始皇帝、朱元璋、趙匡胤、高宗、蕭道成、司馬炎・司馬叡、王莽あたりは生まれか即位してからの状況がハード

>>52
一介の農民からからスタートすることと有力者としてスタートすることの差を過小評価しすぎ
たとえば始皇帝なんて一国の王からだぞ 出生のことやらちょうきろうあいのことあっても一国の王からのやつが農民からのりゅうほうよりハードはあり得ないよ

>>53
始皇帝は始めから一国の王じゃない。幼い頃に人質の子として趙につれていかれてずっと冷遇の立場にあったし、継承権もイチャモン付けられまくってからドロドロの内部抗争で勝ち取った
劉邦が漢王になった方がよっぽどイージーやで

>>42
始皇帝の真似事であそこまで繁栄するんでしょうか・・・

>>44
始皇帝は晩年汚した事と儒教弾圧したからボロクソにかかれてただけで政治手腕は一流やで

50: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:42:08 ID:ke4
この時代は何を読めばええんや漫画か小説でおすすめないん?

>>50
漫画なら横山光輝のこううとりゅうほう とか同じく横山光輝の史記とか読みやすいし内容も良質だからおすすめ
小説なら司馬遼太郎のこううとりゅうほうが読みやすいかな 内容的にはやっぱり史記原書の日本語訳には劣るけど読みやすいからおすすめ

55: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:55:46 ID:GPd
始皇帝の子供時代はハードモードやろ

56: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)01:57:37 ID:iVX
人質でも王子だし農民よりはるかにましだして後継候補のひとりだったし後継争いに加わることができるだけでイージーだよ
りゅうほうなんて後継争いにさえでれない農民から戦争戦争のひびで王になったんだぞ

>>56
劉邦は農民で30過ぎまでのんびりくらしてたけど、始皇帝は10歳にならないころから死と隣り合わせの日々を送ってたんだぞ
さらに劉邦は別に皇帝にならないで一生小金持ちとして暮らす選択肢もあったけど、始皇帝は死ぬか皇帝になるかの2択

>>57
それでも血統だけで王候補の始皇帝と実力だけしかないりゅうほうじゃ後者の方がハードだよ
始皇帝は生まれながらに多くをもってたが農民りゅうほうは自力ですべて勝ち取ったんだよ

>>59
それをいうなら劉邦も反秦連合にはいった時点で王候補だぞ?
しかも反秦連合に入るまではほぼ全部ショウカの後を受け継いだだけ

>>60
王の子として生まれただけで生まれながらの王候補と、
ゼロからはじまって自分の人望で人を集めて反乱軍の一部隊に参加して戦功あげて台頭して王候補じゃまるで話が違うでしょ

>>61
やっぱ史記も読んでないのか
劉邦は最初人は集めてない。ショウカが劉邦の故郷で反乱軍を起こして、その後それをそっくりそのままもらっただけ。

>>62
逃亡先に人集まってたし、しょうかから引き継げたのもりゅうほうの人望という実力ゆえだろ
王の子に生まれただけの奴と違って実力なんだよ

>>64
じゃあ殺されそうになりながらも政争に打ち勝って王になったのも始皇帝の実力だな

>>65
実力は1%くらい
血統だけで参加できる王族という狭い枠の中での争いだから血統がほぼ全て
人質といっても強国秦の王子だし気がい加えたら自国がやばいし事実無事だったし
りゅうほう農民として実力だけでのしあがった

>>69
身内の昭襄王に無視されて攻め込まれたときには処刑されかけてるんですが

>>70
でも王族は家臣もいるし金もあるし事実無事

58: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:03:01 ID:p4l
もっと言えば劉邦は項羽のおかげでそんなに戦わないで漢王になれた
項羽が当時イケイケだった章邯を破ってくれたおかげで主力が全部項羽の方に向いてくれたしな。だからいち早く漢に入れたんだし

63: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:19:11 ID:p4l
だいたい政争を軽く見すぎだな
武将文官にとっては戦争よりも政治の方が危険なんやで

66: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:22:40 ID:JLt
常に命狙われとるヤツの人生がイージーなわけがないやろ・・・

67: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:23:55 ID:tG2
始皇帝の趙での人質生活とかクッソハードやろ
年端もいかない子供なのに常に死にそうだったんやで

68: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:25:28 ID:wgc
始皇帝は歴代でも一二を争うハードモードな人生やろ・・・

71: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:29:56 ID:iVX
ていうかりゅうほうから話題ずれてるけど
歴代皇帝で比較してりゅうほうがハードってのは一部の皇帝あげるだけで反論できてないね

>>71
ていうか別に「歴代の皇帝と比較して」なんてワイは一度も言ってないで
しかもそれでも付き合って一回例挙げてるし

>>73
イージーっていうからにはノーマルやハードがあってのイージーであって比較対象必要だろ

>>73
じゃあ何をもって劉邦の一生をイージーモードと定義づけてんの?

76: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:38:44 ID:iVX
りゅうほうほイージーだと主張するからには根拠や定義がないとなりたたないし納得もさせられないだろ

こっちはりゅうほうはハードだったと主張して根拠や定義として皇帝だったりゅうほうと歴代皇帝でひかくしてりゅうほうの方が困難だった皇帝が多数だから、
りゅうほうはハードだと定義づけている それに対する反論ができていない

77: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:38:48 ID:p4l
なんで劉邦がイージーか
生まれが裕福、戦争に参加しないという選択肢もあった、幼馴染にショウカがいた、偶然張良と知り合えた
身を起こしたときに反素同盟で後の劉備が数年かけて即位した漢王にすぐなれる権利を得た、ライバルが中国史でもトップクラスのバカ
皇帝に就任したあとすぐ寿命がきた、子孫(劉秀)が優秀で一度滅びた王朝を再び起こしてくれた、

>>77
それはりゅうほうの人生についてのべただけで主観的なものでこっちがいってるように歴代で比較とか客観的なのがない

しかも容易に反論可能
りゅうほうが富農といってもとうじもっと裕福な者はいくらでもいたのにりゅうほうは天下取れたがそいつらは?
とか、しょうかと知り合ってたのはりゅうほうだけじゃない、ちょうりょうと知り合ってたのもりゅうほうだけじゃないのに家臣にできて使いこなせたのはりゅうほうだろと、
ようするに心服させて家臣にできてしかも使いこなせたりゅうほうの偉大さだろと
王になれるけんりは戦争で自分で勝ちとったもの ライバルは中国史でも数少ない武力で天下取ったこううという強力なライバルだし ほんとにそんなに馬鹿なら天下取れねーよと
こうぶていもしこうていのような官僚制だけではなく諸侯王を多く設け各地に封建させる方針にしたから後世芽が出たんだろと

>>82
?
金持ちに生まれてる時点でイージーモードやろ?
例えば朱元璋なんか乞食として惨めな生活を送っていたけど、劉邦はニートでフラフラしてた

>>83
その金持ちはイージーモードと言い切ってるのがいかんのよ
完全にイッチの主観やん

なんで金持ちならイージーモードなの?
後継者争いにでも巻き込まれれば速攻殺されるし
金持ち特有のしがらみで行動が制限される場合もあるやん

>>86
後継者あらそいはない。というか後継者の候補になってなかった劉邦の親は遊び人の劉邦を嫌って、弟を気に入っていたからね。
あと金持ち特有のしがらみもない。劉邦は30過ぎまでニートしてたじゃん。酒場のエピソードも沢山残ってるし

>>87
じゃさなんで蜂起したのさ?
ニートで終われば良かったやん

金持ちDQNなら誰でも天下取れんの?

>>89
厳密には劉邦は蜂起してないよ
ショウカが蜂起して、それに後乗りしただけ

>>83
平和な時代に金持に生まれて暮らして平穏に死んだらイージーだよ
りゅうほうみたいに金持にうまれても戦乱の時代で農民がゼロから始めて戦争戦争のひびで何度も敗北したり死にかけたりして最後には天下取るやつのどこがイージーなんだよあほか

>>88
だからライバルが項羽一人だったのが歴代皇帝と比べてもイージーなんだって。しかもスタートが一緒なんていう行幸もある。
だいたいの皇帝は複数の国を相手にして天下統一するか、異民族、モンゴル、あと清だと海外に悩まされたりしたけど、
劉邦は項羽一人、しかも異民族を本格てきに相手する前に死ねた

>>90
最後に残ったライバルがこううってだけでそれ以前は群雄割拠だぞ
それにりゅうほうが匈奴にぼこられたことも知らん無知か

>>97
本格的にっていったやろ。劉邦の後の方が悲惨やん。
あと、群雄割拠じゃない。あの時代はまず秦が収めててそれを楚が剥奪した形だから相手は楚だけ。
しかも他の国はすぐ劉邦側に下ってくれてる。
斉はカンシンが無駄に落としただけ。その前に和平してた

78: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:40:31 ID:p4l
一番はライバルが中国史でもトップクラスのバカってところやな。項羽レベルで愚かな王はそうそういない
しかも他にライバルがいなかったっていうのもデカイな

79: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:48:47 ID:JLt
なんでそんな有能な人が忠実な家臣になったの?
裏切って自分が君主になればいいじゃん

なんで項羽がバカと言い切れるの?
なんで劉邦陣営はバカの項羽に負けまくったの?

>>79
王に求められる頭の良さと戦は関係ない
項羽はたしかに戦はうまかったけど、戦略は全くダメで政治手腕もボロボロ
有名な垓下の戦いの前なんか顕著だけど、反乱が相次ぎ武力行使での制圧制圧の日々で食料も足りなかった。だから和平を申し込んだんだしね

80: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:51:33 ID:JLt
しかも、イージーの定義が完全に主観だよね
ワイにはイッチの説明聞けば聞くほど劉邦はハードな一生送ったんだとしか思えない

84: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)02:56:32 ID:IT0
曹操も劉備殺せるのにほったらかすとか色々やっとるやん
項羽が曹操やったとしても似たようなもんやろ

>>84
曹操とは状況が違う
曹操が劉備を殺す機会を得たときはまだ劉備は国ももってなかったけど、項羽の場合は相手がすでに漢を持ってた

92: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)03:10:25 ID:JLt
そのしょうかはなんで劉邦に忠実だったの?
自分がトップにたったほうが好きにできるやん

>>92
逆逆、劉邦がショウカの言う事に忠実だったから担いだ
例えばカルト教なんかでも、金を一番もうける仕掛け人その変のキチガイを担いで自分は矢面にたたない

95: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)03:14:06 ID:JLt
じゃあさ、しょうかはなぜ自分がトップにならなかったの?
イッチの言い方やと劉邦いらんやん

101: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)03:33:36 ID:qzC
議論が白熱してておもろいな
サンキューイッチ!

102: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)03:36:40 ID:p4l
iVXはもっと情報を盾に反論してくれや
ふわっとしすぎてて疲れる

>>102
あなたも大分フワッとしてますよ
主観的かつ都合の悪いことには答えない

>>103
都合の悪い事って言うか一度答えたことを堂々巡りされても困る
それに
>しかも容易に反論可能
りゅうほうが富農といってもとうじもっと裕福な者はいくらでもいたのにりゅうほうは天下取れたがそいつらは?
とか、しょうかと知り合ってたのはりゅうほうだけじゃない、ちょうりょうと知り合ってたのもりゅうほうだけじゃないのに家臣にできて使いこなせたのはりゅうほうだろと、
ようするに心服させて家臣にできてしかも使いこなせたりゅうほうの偉大さだろと
王になれるけんりは戦争で自分で勝ちとったもの ライバルは中国史でも数少ない武力で天下取ったこううという強力なライバルだし ほんとにそんなに馬鹿なら天下取れねーよと
こうぶていもしこうていのような官僚制だけではなく諸侯王を多く設け各地に封建させる方針にしたから後世芽が出たんだろと

こんな平仮名ばっかで主観的な文章いちいち呼んでられへんねん
あとID変えんでええんやで

105: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)03:56:36 ID:p4l
なんや主観的大好きニキは寝たのか

106: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:02:50 ID:p4l
まぁ見てたらコレに反論してくれや「項羽が王として歴代皇帝のライバルよりも優れてたところ」
皇帝になるにはライバルを出し抜かなければいけない。つまりライバルが他より弱ければ歴代の皇帝よりも簡単に天下とれるわけだから決着つくやろ。

107: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:04:15 ID:JLt
あんた"主観"の意味分かってないよね
国語から勉強しましょう


真性の無能なら家臣は命かけて劉邦を守らんよ
助ける必要ないし、死んでくれたほうがよっぽど都合いいし

のほほんと生きてそんな支持を受けられる人間がいると思いますか?

108: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:04:41 ID:p4l
お、おかえり
課題だしといたで

109: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:05:23 ID:p4l
しかも人名に漢字使ってくれてるやんw

110: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:06:07 ID:p4l
真性の無能なら家臣は命かけて劉邦を守らんよ
助ける必要ないし、死んでくれたほうがよっぽど都合いいし

のほほんと生きてそんな支持を受けられる人間がいると思いますか?

劉禅

111: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:07:08 ID:JLt
課題とかアホかと
何様やねん!

単純に戦が強かったんやろ
実際それである程度もったわけで


リュウゼンは滅びました
劉邦は?

112: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:07:37 ID:p4l
あと、恵帝、胡亥、晩年の孫権とかもかな

114: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:08:56 ID:p4l
劉禅がほろびたけど、部下は最後まで命をかけて戦い抜いてくれたんやで

117: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:12:10 ID:JLt
そもそも、君は何が言いたいの?

劉邦が無能であると証明したいの?

>>117
逆に、なんでイージモード=無能になるのかが分からん。

119: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:15:46 ID:JLt
イージーモードじゃ曖昧で抽象的すぎる
他人には伝わらないよ

具体的に劉邦の何が気にくわないの?

120: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:15:56 ID:iVX
しばらくみてなかったら他の人を俺と妄想して戦ってたのかw
平仮名については人名は漢字でないししゃーない
相変わらず歴代皇帝と比較してりゅうほうよりハードな皇帝は少ないという客観的指摘には反論できず
エピソードあげて主観的にイージーと決めつけるだけか

>>120
いやまぁ突っ込みどころは多いけどええわw

歴代の初代皇帝の話なら劉邦よりイージーなのは劉秀、武帝、李淵、(クビライ、チンギス・ハーン)くらいやろ
始皇帝、朱元璋、趙匡胤、高宗、蕭道成、司馬炎・司馬叡、王莽あたりは生まれか即位してからの状況がハード

なぜこいつらがハードか、生まれの壮絶さ、就任後の国の問題の多さ、

123: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:26:31 ID:iVX
始皇帝は王の子で農民の子のりゅうほうの方がハード
しゅげんしょうはりゅうほうよりハードでよい
ちょうは高官の子やしりゅうほうの方がはーど
司馬炎も親の事業継いだ部分が多いから自分の力でなしとげたりゅうほうの方がはーど
王も外戚出身やしりゅうほうのほうがハード

>>123
じゃあまずは何で政争の方が戦争よりもイージーなのか?
とくに司馬炎なんか魏をひっくり返すって言う凄いクーデター起こしてるのに

>>124
政争というかスタート地点の問題
最終地点皇帝を100として農民を1とすればりゅうほうは1から100まで自力で到達した
司馬炎は王の子として祖父以来一族がすでに魏の実権をとっている環境だったし王の子に生まれたスタート地点で80、皇位簒奪で100だろう

130: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)04:43:37 ID:p4l
政争については何も語らず、お前の主観しかないやん
政争はなぜ戦争よりもイージーなのか?やで
例えば韓信も戦争は勝ち抜いたけど政争ではすぐ死んだくらい政争っていうのは大変なもんなんや

>>130
政争が戦争よりイージーなんていって自分は言ってないのに語る必要ないじゃん
一貫して言ってるのは実力で這い上がったりゅうほうはハードだったということ
歴代皇帝の多くが名門の生まれであったのと違うところでありハードなゆえんだと

>>132
前のレスで政争をかちぬいた始皇帝は実力一パーセントだけど、戦争勝ち抜いた劉邦は完全に実力っていってたで

>>133
だからそれは王位継承はそもそも王の子じゃなきゃ参加もできないし王の子だから王になれた始皇帝は実力1%ってこと
政争云々というより実力で参加したり勝ったわけじゃなく王の子だからやれたってことだよ
始皇帝が農民の子で実力だけで王族おしのけてたならハードだけどそうじゃない
完全実力の世界の戦争勝ちぬいたりゅうほうとは違う

>>136
王の子とはいえ傀儡政権にしようと目論んで他やつがいっぱいいる中で、実権を握ったのは間違いなく政の実力やろ

>>138
それでも王の子として生まれて後継いで王になって王として実験にぎるのと、
農民として戦争に参加して戦果あげて王になることに必要な実力の差は明らかだろ
前者は王の子じゃなければそこで終了なんだから実力は1%だが後者は実力100%だよ

140: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)05:03:45 ID:p4l
だからその実権掴むための政争に実力が必要といってるんや
例えば上ででてた司馬炎なんか骨ぬきにされて即傀儡になっとるやん
そして実権を握る大変さと戦争の大変さがなんでイーブンじゃないか教えてくれと言っとるんや

>>140
だからさ、実権握る大変さと戦争の大変さは同じくらい大変だと思うがこの場合はそれとは話が別でさ、
たとえばAは農民としてスタートして実力で官僚になり政争に勝ち高官になり王になり皇帝になって実権握りましたっていうんなら実力100%だよ
Bは農民としてスタートして実力で戦争に勝ち王になり皇帝になり実権もあったならこれも実力100%
でもCは王の子としてスタートし王になり政争に勝ち実権握りましたってのは実力1%だよ だって実権政争云々以前に王の子に生まれてなければ王になれてすらいないんだから政争実力以前に幸運にも王の子に生まれただけの要素が強い


142: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)05:19:38 ID:p4l
なんか王の子として生まれれば100パー王になれるみたいな言い方してるけど、生まれても王になれなかったのだって沢山いるやん
それこそ始皇帝の兄弟は全部脱落したんやで

143: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)05:28:58 ID:p4l
そもそも成り上がりって言葉に騙されてると思うけど、始皇帝なんかも成り上がりやで
始皇帝は王位継承権がほぼなく、それも途中まで人質にだされて圧倒的不利な条件だったのに、その他の兄弟を出し抜いて王になった

144: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)05:40:45 ID:p4l
さすがに主観ニキ寝たのか
結局、主観の王への道のりの遠さを話して王位継承権者が王になるためにぶつかる壁は無してるな

145: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)05:45:13 ID:p4l
司馬炎つながりで八王の乱でも見るとええで
内紛政争は1%の実力で乗り越えられるほど甘くないで

>>145
内紛を乗り越えられるかは能力実力の問題であって人生がイージーモードかハードモードかの問題じゃない
AとBが王族と生まれ内紛があってAは有能で乗り越えてBは無能で乗り越えられなかった
この場合でも王族スタートの時点でABともに農民スタートのハードなりゅうほうと比較してイージーモードだろ
農民スタートのりゅうほうがハードで王族スタートの司馬炎がイージーなのは明らか
これがわからんとか異常やで

147: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)08:21:15 ID:9SR
生まれが王族ならイージーモードとかいう奴www
王族なんて難癖つけて謀殺暗殺の雨嵐やろ…

148: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)08:23:22 ID:iVX
農民から天下取って皇帝になるより王族皇族から皇帝になるほうがイージーに決まってんだろww

149: 名無しさん@おーぷん 2015/01/13(火)09:39:26 ID:un5
なんやこの不毛な争いは... 

http://himasoku.com/archives/51882322.html引用

1: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:18:45 ID:E25 
調べ物のついでに書き留めたメモみたいなものゆえ適当な感じですまん
間違いがれば修正宜しく



2: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:19:13 ID:2M8
期待するやで

4: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:19:56 ID:fU6
歴史好きなワイ得なスレ 

3: 初代 足利尊氏 享年54歳 2015/01/02(金)14:19:21 ID:E25 
御存知室町幕府を創立した英傑だが晩年は南北朝のドロ沼抗争や弟・息子との骨肉の争いなどグダんグダん状態に陥る。死因について「公卿補任」「太平記」には「癰瘡」、「愚管記」には「腫物」とあり感染症の類による病死と考えられる。

Ashikaga_Takauji_Jōdo-ji

5: 二代 足利義詮 享年38歳 2015/01/02(金)14:20:32 ID:E25 
父尊氏、子義満の間に挟まれてやや陰は薄いが大内・山内といった有力大名を北朝側に引き込んで後の南北朝統一への道筋を作った。
「後愚昧記」によると「大樹(将軍)所勞今曉鼻血多出了」つまり大量の鼻血を出したという風聞が立った3日後に死去。動脈や血圧に問題があったのかもしれないが病名は不明。 

200px-Ashikaga_Yoshiakira

7: 三代 足利義満 享年51歳 2015/01/02(金)14:22:08 ID:E25 
金閣の人。南北朝統一や敵対大名の討伐などにより室町幕府体制を確立。また武家の頂点に座しつつ太政大臣の官位を身に纏うことで空前の権力を手に入れた。
歴代室町将軍の中で最も有能との評価もあり決して小坊主にとんちでやり込められるマヌケなおっさんなどでは無い。
「教言卿記」によれば応永15年(1408年)4月27日頃から咳をし始め翌月1日に重篤になる。その後一旦快方に向かうが六日死去。「鹿苑院殿追善記」には「流布御所勞」記されているので流行り病に罹ったものと思われる。 

250px-Yoshimitsu_Ashikaga_cropped

9: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:23:56 ID:a4r
義満ってもうちょい長生きしたイメージだわ

11: 四代 足利義持 享年43歳 2015/01/02(金)14:24:11 ID:E25 
父義満の下地作りのお陰もあったにせよ30年近くに渡り長期安定政権を維持したのは立派。お尻の出来物を掻きむしったところそこからバイ菌が侵入して病死したらしく、それ故ネタにされやすい。
信心深い人だったようで死ぬ前に後継者を指名してくれと詰め寄る重臣達相手に「神前でのクジ引きで決めちゃってよ」という厄介な遺言を残す。闘病期間10日。 

250px-Ashikaga_Yoshimochi

18: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:28:47 ID:fU6
>>11
さいごワロタ

14: 五代 足利義量 享年19歳 2015/01/02(金)14:26:42 ID:E25 
義持の子で義持存命中に将軍職を譲られるも父に先立って19歳で病死。
闘病期間20日で病状病名は不明。元々虚弱体質だったらしい。 

200px-Ashikaga_Yoshikazu

15: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:26:59 ID:ljM
いいぞーこれ

16: 六代 足利義教 享年48歳 2015/01/02(金)14:27:58 ID:E25 
兄義持遺言によるクジ引きで将軍に選ばれた人。加えてドラフト指名当時は僧侶だった為36歳で還俗元服(武士の身に戻った後成人式)をしたという将軍としては異色の経歴の持ち主。
将軍権力強化を志向して強権政治を敷くがこれが多くの人々の反発を招き赤松教康の手の者に襲われて死亡。「看聞日記」はその死を「自業自得」の「犬死」と冷淡に記す。
一方幕府立て直しに一定の成果を残したと評価する声もあり、またキャラも立っているので案外人気がある将軍。 

220px-Ashikaga_Yoshinori

19: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:29:51 ID:WND
義教は妙な人気あるな実際w

20: 七代 足利義勝 享年10歳 2015/01/02(金)14:30:13 ID:E25 
義教が還俗後にもうけた子。父の急死により9歳で将軍になるがそんな子供が幕政を主導出来るわけもなく実権は有力守護達の手にあった。ゆえに政治的実績はほぼゼロ。
「看聞日記」によれば嘉吉3年(1443年)7月13日に「赤痢病」を発して21日死去。在任期間も八ヶ月と短命。 

260px-Ashikaga_Yoshikatsu_statue

21: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:31:23 ID:tzp
何だかだんだん、将軍の権力が鈍ってきていて、戦国時代への布石っぽい雰囲気がでてきた気がする

22: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:32:07 ID:27y
最後でいいから名前にふりがなをお願いします

55: スレ主 2015/01/02(金)15:10:29 ID:E25 
>>22
たかうじ
よしあきら
よしみつ
よしもち
よしかず
よしのり
よしかつ
よしまさ
よしひさ
よしき(よしたね)
よしずみ
よしはる
よしてる
よしひで
よしあき

でたぶん合ってる

23: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:32:45 ID:th2
あの時代とはいえ全体的に寿命短いな

24: 八代 足利義政 享年55歳 2015/01/02(金)14:32:53 ID:E25 
銀閣の人。急死した兄義勝の跡を継ぐ。芸術にのめり込んで政治を怠り、応仁の乱の原因を作ったとしてdisられがちだが20歳を過ぎたあたりから病気がちになっていたようで同情の余地も多少は。
「蔭涼軒日録」に「中風」の「再発」によって死亡とある。 

260px-Ashikaga_Yoshimasa

26: 九代 足利義尚 享年25 2015/01/02(金)14:34:50 ID:E25 
義政の子。近江守護大名六角氏討伐の陣中で病死。といっても戦争そのっちのけで酒・女・蹴鞠・犬追物など遊興三昧に耽った挙句の陣没なのであまり褒められた最期ではない。
延徳1(1489年)年3月16日に重篤となり22日に多少持ち直したものの26日に死亡。直接の死因は不明だが「蔭涼軒日録」によると黄疸が出るまで酒を飲みまくった人らしいのでアルコール性肝硬変とかその類かもしれない。 

220px-Ashikaga_Yoshihisa

27: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:36:02 ID:LVh
はえ~すっごい
ちゃんと死因わかるのか

28: 十代 足利義材(義稙) 享年58 2015/01/02(金)14:39:43 ID:E25 
義政の弟義視の子。幕政の主導権を巡って対立した管領細川政元に京を追い出され将軍の座を失う。その後なんとか帰還を果たし義稙の名で二度目の将軍職に就任するも今度は政元の養子細川高国に追い出される。
逃亡生活はのべ10数年に及び毎度おなじみ流浪の将軍として後世に名を残した。最期は逃亡先の阿波で死亡するが直接の死因は不明。 

260px-Ashikaga_Yoshitane_statue

30: 十一代 足利義澄 享年32歳 2015/01/02(金)14:44:09 ID:E25 
義政の兄政知の子。義材を追放した細川政元に擁立されて将軍になるが義材の反撃を受け逆に京を追われてしまう。
以後京奪還を目指すも作戦はことごとく失敗し願い叶わぬまま逃亡先の近江で死亡。直接の死因は不明。 

220px-Yoshizumi_asikaga

31: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:44:50 ID:I2l
さすがにこの時期になると不明になってくるか

32: 十二代 足利義晴 享年40歳 2015/01/02(金)14:46:46 ID:E25 
義澄の子。義稙を追放した細川高国に擁立されて将軍に。一方高国と細川家当主の座を争う細川晴元は義晴の弟の義維を担ぎ出してこれに対抗するというよくわからん展開へ。
最終的に細川家の内紛に勝利したのは晴元の方だったが義晴はその晴元と安定した関係を築けず対立しては京から追い出され和解しては京に戻るというパターンを繰り返す事になる。
結局この人も逃亡先の近江で死亡。「言継卿記」と「公卿補任」は「水腫張満」を死因とする。
「水腫張満」はかつては奇病として恐れられた日本住血吸虫症の古名。死亡時は水腫でおなかポッコリの状態であったのだろう。

250px-足利義晴

35: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:49:30 ID:ElD
>>32
こわい・・・

33: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:47:59 ID:a4r
9代目以降は将軍とは名ばかりのお飾りばっかだからしゃーない

34: 十三代 足利義輝 享年30歳 2015/01/02(金)14:48:53 ID:E25 
義晴の子。父と共に逃亡生活を送り将軍就任も都では無く近江坂本の地だった。細川家に替わって台頭してきた三好家と対立。
地方大名との提携を積極的に進め将軍権威の回復を目指したが最後は三好家家臣らの手にかかり殺される。
「言継卿記」によれば一万名の敵兵に囲まれた義輝方は死闘三時間の末にほぼ玉砕。生母慶寿院、弟周暠、31名の近臣らも運命を共にした。
義輝最後の戦いぶりについてフロイスの「日本史」は「長刀(なぎなた)」で数人を死傷させたのち刀を抜いて敵に立ち向かうも斬殺された記す。 

195px-Ashikaga_Yoshiteru

36: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:50:21 ID:tzp
もう(室町幕府も)終わりやね…

37: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:51:19 ID:a4r
義輝は庇護して一定の権威も保障してくれる長慶を殺そうとするとか無能過ぎるんだよなあ・・・。

38: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:51:56 ID:LVh
たたみに何本か差した刀で戦ったのは義輝だっけ?

41: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:54:48 ID:th2
>>38
そう、で、ついた渾名が「剣豪将軍」

59: スレ主 2015/01/02(金)15:16:36 ID:E25 
>>38
後年成立の「足利季世記」が出典の逸話ですのでおそらく創作でしょう。
そもそも一箇所に留まって戦ったら狙い撃ちされるだけですから。

39: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:53:16 ID:27y
義輝の辞世が好き
「五月雨は 露か涙か 不如帰 我が名をあげよ 雲の上まで」

42: 十四代 足利義栄 享年29歳 2015/01/02(金)14:54:56 ID:E25 
かつて細川晴元が将軍候補として擁立した義維の子。義輝を殺した三好家家臣らに擁立されて将軍職に就くが実権の無い操り人形であった。
しかも三好家内紛のとばっちりで京に入ることすら叶わず就任八ヶ月後に阿波で病死と歴代屈指のかわいそう将軍。「公卿補任」は「腫物」による死亡と記す。 

1741

43: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)14:56:00 ID:c8S
なんやかんや室町も200年あったんやな。流石と言うか

61: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:28:08 ID:gOW
支配力、影響力は江戸>室町>鎌倉であってるんやろか
200年ってすごいな
舐めてた

46: 十五代 足利義昭 享年61歳 2015/01/02(金)14:58:36 ID:E25 
義輝の弟。信長包囲網の人として有名なんで前半生の略歴は省略。
豊臣秀吉の天下確立後に将軍の座を捨て小大名として平穏に過ごしたお陰なのか歴代室町将軍の中で最も長命となった。ある意味一番の勝ち組将軍なのかもしれない。
「日用集」には「腫物」によって慶長2年(1597年)8月28日大坂で死亡したと記されている。
ちなみに秀吉の死去はほぼ一年後の慶長3年8月18日の事であり関ケ原の合戦はさらにそこから約二年後の出来事になる。 

250px-Yoshiaki

50: スレ主 2015/01/02(金)15:02:23 ID:E25 
以上。
時代が進むごとに悲惨になる死にっぷりが
室町幕府衰退とリンクしているように感じられます。

53: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:03:37 ID:a4r
イッチ乙やで~。
こうやって見ると何度も死線を潜って一時は信長を追い込んだ義昭はすげーわ。

57: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:13:42 ID:1or
最後の将軍がながいきなのは世間の煩わしさから解放されたからなのかな
徳川慶喜も長生きしたし

62: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)16:08:07 ID:eh9
医療が進歩した時代に生まれてきてよかったよ
じゃないと俺も(享年16歳)みたいになってたな

65: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)17:58:07 ID:c8S
まず武家に生まれんかったら栄養失調で20代で死んどるやろな
ええ時代に生きとるわ

66: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)18:27:47 ID:u6B
義昭は信長よりも長生きしてるんだよなあ

49: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:01:17 ID:LVh
面白かった
次は鎌倉幕府やって、どうぞ、

54: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:04:00 ID:tzp
1乙!
全部読ましてもろたでー。またなんか歴史的な事かいてやでー。

56: 名無しさん@おーぷん 2015/01/02(金)15:13:28 ID:BQZ
イッチ乙
ほかの時代でまたやってほC

60: スレ主 2015/01/02(金)15:24:22 ID:E25 
読んで頂いた皆様ありがとうございました。
なんかネタが思いついたらまた書きます。  

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4805085.html引用

1: ムーンサルトプレス(宮城県)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 22:43:13.65 ID:qjc0H6CW0●.net
明治維新の成功を違う角度から見てみよう 
維新ヒーローの陰に旧幕臣がいた! 

今年の大河ドラマは『花燃ゆ』。吉田松陰の妹・文を主人公に、松蔭はもちろん、久坂玄瑞や高杉晋作など長州の 
志士たちが、その生き様をたっぷりと魅せてくれるであろう。大河ドラマで幕末物は当たらないなどというジンクスは 
いつのことやら、『篤姫』『龍馬伝』『八重の桜』、そして今回の『花燃ゆ』と続くのも、近代日本の立ち上がりを振り返り、 
このところの閉塞感を打破するヒントを得たいという空気があるのだろうか。 

ちなみに長州が舞台となるのは1977年の『花神』以来、38年ぶりだそうである。明治維新以来、現総理も含めて 
もっとも多くの総理大臣を輩出した地である。地元の皆さんはさぞかし期待しているに違いない。 

■覆される幕末のイメージ 
さて、となればまた維新と「志士」の本はたくさん出版されることだろうと思うのだが、今回ご紹介する本は維新と 
「幕臣」の本である。 

旧態依然とした幕府と、保身に汲々(きゅうきゅう)とするのみで時代の流れに取り残された幕臣。それに対して 
進取の気風に富み時代を読み、日本を近代化すべく戦った薩長をはじめとする西南雄藩と志士たち。しかしこうした 
イメージは修正されつつある。 

たとえば戊辰戦争における鳥羽・伏見の戦いのイメージはどうだろう。3分の1の兵力しか持たなかった倒幕軍に 
敗れたことから「幕府軍は数ばかりで、装備は古くさい鎧兜」だったのかと思いきや。実際には洋式装備の歩兵隊が 
八個連隊・9800人もおり、フランス軍事顧問団の指導を受けた精鋭部隊も擁していたという。 

海軍ともなれば幕府軍が圧倒的で、主力艦の「開陽丸」も、当時、世界最大級の軍艦だったし装備も極めて優秀 
だった。薩長含め、対抗できる戦力は国内には存在しなかったのである。 

幕府も時代の変化には充分に危機感をもち、軍制や税制、そのほかさまざまな改革を少しずつ積み重ねてはいた。 
そもそも開国・近代化を目指したのは幕府の方が先だったではないか。だが残念ながら幕府はガバナンスに失敗し、 
蓄えた優秀かつ大切なリソースも生かしきれず、明治維新となる。 
転載元:http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1420378993/ 

幕臣 

2: ムーンサルトプレス(宮城県)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 22:43:40.78 ID:qjc0H6CW0.net
■維新時に秩序が保たれていたことは、幕府のおかげ 
では幕府がそれまでに積み重ねたものはすべて無駄になったのかというと、実はそうではない、というのが本書 
『明治維新と幕臣』のテーマである。 

明治維新は非常に大きな政治変動ゆえに、その変化ばかりに目を奪われがちだが、「いかにして統治したか」という 
行政の面からみると、江戸から明治への連続性が見えてくるというのである。 

“明治維新に際して、戊辰戦争において戦地となった場所は例外として、全国津々浦々が混乱を極め、略奪や 
暴行が横行したという事態に至っていないということは、少なくとも社会生活を維持できるような秩序が保たれて 
いたということになる。つまり、行政が機能しない状態にはほとんどならなかったということになろう” 

たとえば大災害のときなどでも、日本人は秩序正しくふるまうことが折々話題になるが、道徳心もさることながら、 
行政に対する信頼感が実はとても大きいのである。行政がきっと対応する、援助がくると信じられるからこそ、暴動や 
略奪にはならない。 

天下の体制ががらりと変わっても、幕末の人々が落ち着いていられたのも、日常生活に直結する行政が機能し 
続けていたからなのである。 

新政府による旧幕臣の登用というと、勝海舟や榎本武揚、渋沢栄一などの大物の名前を思い浮かべるが、ここで 
頑張ったのは旗本や御家人などの幕臣たちであった。今風にいえばノンキャリの官僚たちである。 

薩長土肥や越前・尾張などの雄藩は、藩の規模、いわば地方自治の規模での統治の経験しかなく、全国規模の 
統治は未経験だった。そのノウハウや人材を持っていたのは幕府のみだったのだ。 

明治政府による旧幕臣の登用については「国難にあたり、敵味方の分け隔てなく優秀な人材を登用した明治政府の 
度量」という見方もあるが、実情は徳川400万石の幕領を統治する行政組織をそのまま活用しなければどうにも事が 
動かない、というのが実情だったようだ。 



3: ムーンサルトプレス(宮城県)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 22:44:07.12 ID:qjc0H6CW0.net
“見方によっては皮肉ではあるが、明治政府は、江戸幕府という前政権が有効に機能していたからこそ、全国政権と 
しての体裁を為すことができたともいえよう” 

「岩倉使節団」は、欧米の制度や法制を視察・研究するために派遣された専門官のほかに、実務にあたる書記官を 
多数含んでいたが、書記官の多くが幕末期の外交交渉にあたった旧幕臣であったという。それゆえに彼らは、使節団 
における地位は低くとも知識や経験は豊富だった。 

現実の外交交渉の場ではかれらに頼らざるをえず、岩倉さえも頭が上がらない始末。しまいにはホテルの部屋割り 
に至るまでバチッと仕切ってしまったという。260年にわたりこの国を平穏に運営してきた幕府の官僚たちの意地を 
感じるエピソードである。 

■いつの時代も組織力が重要 
変革の時、人々はヒーローを求める。新しいビジョンを示す人物を求める。しかし、どんな優秀な人物がどれほど 
すばらしいビジョンを描こうとも、それを実現するためには組織が必要であり、最前線で実行していく力をもつ人材が 
不可欠なのだ。 

その人材の層にどれほどの厚みがあるかが、その社会の力、基礎体力ともいうべきものだろう。それがしっかりして 
いれば、どんな社会変動があっても乗り越えてゆけることを、幕臣たちの働きが教えてくれる。 

明治政府の改革を支えた無名の幕臣たちを思いながら、「人」の力の大切さを軽んじるような世の中になりません 
ようにと願うのである。 
http://toyokeizai.net/articles/-/56892 



5: ビッグブーツ(東京都)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 22:52:47.51 ID:hBr1RFkP0.net
日本は昔から実務担当者が優秀だから 
ボスが誰でも話はちゃんと回った 
戦争とか大きい話は下が頑張ってもボスの無能決定が脚を引っ張った 



7: 毒霧(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 22:55:58.88 ID:3RC0gMBs0.net
>>5 
責任が明確だと日本人は優秀なんだよな 



36: キチンシンク(東京都)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:35:33.68 ID:liv4dtmD0.net
幕府側譜代筆頭ながら積極的に倒幕に参戦して 
近藤勇を追い詰め捕縛したり 
藩士から明治政府の司法大臣とか輩出した井伊藩みたいのもおるでよ 



39: ショルダーアームブリーカー(西日本)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:38:40.64 ID:8k7PbuyW0.net
日本に限らず革命やクーデターで政権が大きく変わっても実務を司る役人は 
たいていはそのまま引き継がれることが多いだけなんじゃね? 



62: ナガタロックII(兵庫県)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:56:40.12 ID:9i3NZFUC0.net
>>39 
このあたりが正解だわな 



43: ミラノ作 どどんスズスロウン(チベット自治区)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:41:38.99 ID:gnxT+0sj0.net
徳川時代の分厚い文化経済学問 あってこそ 
既に独自に世界レベルに達していたわけで 
無いのは科学技術と近代思想だけ だったんだから 



46: キングコングニードロップ(家)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:44:22.62 ID:jkgM+dBM0.net
田舎から上京してきたヤル気だけの下級武士に 
政府の運営なんて出来る訳ないじゃん 
滅ぼした王朝の遺臣を積極採用するなんて中国歴史みればよくわかる 



49: チキンウィングフェースロック(関東・甲信越)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:47:11.31 ID:j4xGPy1fO.net
幕臣は官僚と同じく一生厚遇が保証された優秀なエリート故に保身しか頭になかったんだろう 
松陰や高杉みたいなキチガイが好きに動ける組織じゃなかったろうし 
でも才能ある奴はちゃんと薩長政府でも重用されてる 



64: ブラディサンデー(やわらか銀行)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:57:32.60 ID:9/bA9UGB0.net
>>49 
長州なんて士族がその場しのぎで平民騙して利用していただけでは? 
戊辰戦争終わると露骨に家柄主義に回帰して平民切り捨ている鬼畜 



66: ドラゴンスープレックス(京都府)@\(^o^)/:2015/01/04(日) 23:58:50.05 ID:RqpadL+30.net
明治政府に幕臣結構参加してるしなぁ 



79: マシンガンチョップ(三重県)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 00:09:21.50 ID:/sOcmYTG0.net
慶喜が徹底抗戦してたら日本終わってたと思う 
あっさり返上できる有能 



87: 32文ロケット砲(家)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 00:18:24.12 ID:mNT7LO/y0.net
いい加減奥羽列藩同盟や会津の抵抗勢力も靖国に祀ってあげなよ 
国の為に戦ったのにあんまりな仕打ちだ 



90: ツームストンパイルドライバー(関東・甲信越)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 00:23:22.57 ID:Ry1Pp2CSO.net
>>87 
会津側が嫌がるだろ 
未だに山口県からの和解パフォーマンスなんかもガン無視だし 



96: ボマイェ(catv?)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 00:29:37.34 ID:VNsKILaF0.net
帝国主義の荒波が押し寄せる幕末の日本において、旧弊な幕府の行政方針や硬直した官僚組織では対処出来ずにいた。 
世界に対応していくための日本にしていくためには根本的な変革が必要だった。 
薩長連合が倒幕の狼煙を挙げて江戸に迫ったのはある意味チャンスだったのかもしれない。 
日本にとって最大に幸福なことは江戸城無血開城という選択肢を成し遂げることができたことであり、上野、東北、北海道での局地戦があったものの比較的スムーズに新政府の行政機構に移管された。 
旧幕臣の中で明治新政府に登用されたのは当然のことである。 
そして江戸城無血開城の立役者でありその後倒幕後の将軍家や旧幕臣への世話係として明治新政府を影からバックアップした勝海舟に対しても満腔の敬意を表するものである。 



100: ドラゴンスクリュー(京都府)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 00:33:36.72 ID:Hu2qvtQO0.net
>>96 
江戸城を無血開城させたのは山岡鉄舟だよ 
勝なんて口だけ野郎で嫌われまくってた 



107: トラースキック(中国地方)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 01:15:49.37 ID:Ak22/Ex10.net
「無血開城は立派」 
なんて言ってるやつがいるけど、立派でもなんでもなくそうするしかなかった。 
そうするしかない連中・・・つまり兵士として価値ゼロの集団だから無血開城しただけのこと。 

ふつうはスターリングラードでも、硫黄島でも、アラモ砦でも必死に戦う。 
江戸にどれだけの人口がいたのか知らないが、恥ずかしい話である。 



109: ナガタロックII(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 01:34:21.40 ID:MWVeKUmG0.net
>>107 
普通なら徹底抗戦してた、そして日本は泥沼の内戦へ。 
普通じゃないから凄い。 



112: キングコングラリアット(家)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 01:53:18.51 ID:h0zKhf+N0.net
>>107 
その例は全て内戦じゃなじゃん 



113: トラースキック(中国地方)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 02:00:01.16 ID:Ak22/Ex10.net
>>112 
結果的にはそりゃ無血開城はよかったさ。 
ただそれは「イキがっててスイマセン。戦争する根性もない自分らが支配者なんて間違ってました」 
っていう平伏と悔恨の表明としてでだな。 
あとから日本の将来のために「無血開城してやったぜ!」なんていうのは、もう一回しばかれたいかって感じだよ。 



108: ドラゴンスクリュー(京都府)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 01:26:05.07 ID:Hu2qvtQO0.net
外国勢力が虎視眈々と狙ってる中 
内戦で国力を落とすわけにはいかなかったから無血開城は立派でいいんだよ 
結局戊辰戦争起こしてるけど 



122: ストマッククロー(WiMAX)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 05:59:49.23 ID:MQ8qqVoh0.net
>>1 
>そもそも開国・近代化を目指したのは幕府の方が先だった 

徳川慶喜などは早々に開国の判断をしていた 
二転三転したのは朝廷で幕府がそれに振り回されているのに乗じて 
薩長に倒されてしまった 
幕府は勝てないわけではなかったと思うが本気で戦っていれば 
そこに乗じたのは外国だったかもしれない 
開国して外交を重視することに幕府と倒幕とで違いはなかったが 
旧来の身分制度の改革と薩長による主導権奪取 



130: リバースパワースラム(東京都)@\(^o^)/:2015/01/05(月) 07:22:37.59 ID:Xy4rjr1O0.net
アヘン戦争で清王朝が西洋列強の餌食になっているのを目の当たりにしているので 
危機感が幕府、その他諸藩というミクロな視点ではなく 
いずれ日本にも同じ手口で内政干渉してくるのは 
容易に予測が立ち内戦などしている暇など無かったのが実情 
 

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52180781.html引用


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 現在では「自由と平等」を標榜するアメリカ合衆国だが、1640年代から1865年まで、アフリカ人とその子孫が合法的に奴隷化されていた。19世紀前半のアメリカの富は黒人奴隷の労働の搾取に負うところが大きかったのは歴史上の事実である。

 人間が商品として売買され、人として扱われなかった事実からアメリカ人は目を背けてはならない。そのことを伝える写真と資料がアメリカのサイトで公開されていた。

1.奴隷は、船にぎゅうぎゅう詰めにされアフリカ大陸から運ばれた。
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2.奴隷船内部の“積み込みプラン”。隙間なく並べられているのはすべて人間だ。
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3.アメリカに到着すると、男も女も子どもたちも競りにかけられた。多くの場合、家族は散り散りになった。
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「奴隷大セール」1855年1月10日 ・20~26歳までの頑健な男3人、・42歳の女、名前サリー、料理上手、・23歳の女、名前リーズ、6カ月の子どもあり、・12歳から20歳までの若い男17人 など

4.プランテーションや家庭に売られた奴隷たちは、ひどい扱いを受け、祖末な小屋に大勢で寝泊まりし、日中は炎天下の長時間労働を余儀なくされた。
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5.
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6.奴隷が逃亡を図ったときには、すぐさま令状や懸賞金が出され、犬を連れた男たちの一団が彼らを追跡した。
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懸賞金100ドル、17歳の黒人女性エミリーが逃亡したことを伝えるポスター。
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懸賞金200ドル、“ニグロ”5人(40歳ぐらいの夫と30歳ぐらいの妻、その3人の子どもたち)が逃亡したことを伝えるポスター。

7.1863年1月1日に発布された奴隷解放宣言のもと、アメリカは奴隷を自由にするための一歩を踏み出した。しかし、さまざまな不公平は現在にいたるまで続いている。
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via:viralnova・原文翻訳:mallika

 ちなみに日本での人身売買に関する最古の記録は『日本書紀』676年(天武天皇5年)の売買許可願いである。下野の国司から凶作のため百姓の子どもの売買の申請が出され、不許可となっている。しかし、この許可願いの存在から、それ以前の売買の存在が推認されている。

 大宝律令・養老律令でも禁止はなされていたが、密売が行われていた。また奴婢の売買は公認されていた。人買いの語が多く見られるのは鎌倉時代、室町時代である。「撰集抄」には幼童、青年、老人さえ金で売られることが記され、「閑吟集」には「人買船は沖を漕ぐ、とても売らるる身ぢやほどに、静かに漕げよ船頭どの」という歌がある。

 謡曲では「隅田川」「桜川」などが、古浄瑠璃の山椒大夫とともに有名である。戦国時代、安土桃山時代には、多くの日本人が、大名やポルトガルを始めとするヨーロッパ商人たちによって、奴隷として世界中に売り飛ばされていた。これが豊臣秀吉によるバテレン追放令や、江戸幕府による鎖国体制の原因の一つになったとも言われる。 

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52178605.html引用

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 「グリモワール」とは、フランス語で魔道書(魔術書)を意味する。かつて魔道書というのはフィクションの中の単なる記号ではなく、古代人の実用書だったのだ。こういった本は実用的な医療のアドバイスからキリスト教・ユダヤ教にまつわる神話、そして科学さえも網羅した本だったのだが、同時に身の毛のよだつ怪物召喚や呪いで満ち満ちていた。今回紹介するのは、かつての魔術師たちのバイブルとなっていた最も古い魔道書6冊である。 

1.ネクロマンサーズ・マニュアル(ミュンヘン降霊術手引書)

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 ミュンヘンのバイエルン州立図書館所蔵の魔道書「手稿 CLM 849」の通称である。この本のテキストは 『禁断の儀式、15世紀の降霊術師のマニュアル』に収録されており、存在しない軍隊の幻覚を敵に見せる呪文であふれている。また、おぞましいモンスター召喚方法も載せており、神話上の生き物への生け贄のささげ方が書かれている。


2.ピカトリクス

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 11世紀に書かれたこの本は、全400ページにものぼる最大級の情報量を誇る魔道書である。この本に載っているほとんどの調合薬は強大な力を与えるものだが、中には人間の排便や、血液や精液を混ぜなければならないものもある。昔の魔術師が実際にこの調合薬を使用していたとしたら、結構な勇気が必要だっただろう。


3.ガルドラボーク

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 アイスランドに伝わるこの魔道書は呪文だけでなく、装飾品や本に刻まれているルーン文字も特徴だ。このルーン文字が与える力は、敵が戦いに使う馬などの動物を殺すといった呪いから、「はなはだ大きなる屁をもてなんじの腹を苦しめん」という、つまり屁を出させる呪いまで多岐にわたる。


4.ホノリウスの誓いの書

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 テーベのホノリウスという詳細不明の人物によって書かれた本。この本には誓いとして、3冊を超える写本の存在を禁ずる、また所有者は生涯女性と結婚してはならない、という言葉が書いてある。ちなみに敵国を攻撃するために洪水を起こすことは許可しているそうだ。


5.悪魔の偽王国

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 この本は、69体の悪魔とその召喚方法がすべて掲載されている魔道書で、1577年に発行された「悪魔による眩惑について」という本の補遺として添えられていたものだ。馬を盗むことが専門の召喚悪魔などもいるそうだ。


6.術師アブラメリンの聖なる魔術の書

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 この魔道書は、15世紀に、とあるユダヤ人放浪者がエジプトでアブラメリンという謎の老賢者に会い、彼から学んだ秘術を、そのユダヤ人放浪者が息子に伝えるために手紙と言う形で書き記されたものだそうだ。

 魔術師の守護天使を解き放つ為に18か月もの儀式が必要になる。この守護天使の加護を得ると、魔術師は超能力や未来を見る力、さらには天候を操作する力まで手にするそうだ。

via:viralnova・原文翻訳:such 

http://www.scienceplus2ch.com/archives/4909427.html引用

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コンピュータの歴史は古い。
遡るところまで遡ると、それは原始の計算機まで行き着き、
そうした計算機は今となっては誰も実際に使うことはない。

そうした昔の計算機は見ていて楽しいものが多い。
たくさんの歯車、ガジェット、よくわからない細々した何か、
そうしたものの組み合わせが美しい複雑さを醸し出している。

そういったメカメカしいメカが好きな読者のために、
ある計算機の内部構造をフューチャーした写真があったのでご紹介しよう。 

こうしたメカの複雑な集合体が心をくすぐるのは、どうしてなのか。

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カバーを外して内部を見てみると、やはりそこも複雑さの塊である。
こうした写真は、単純に見て楽しいというのもあるが、
私たちがここ数十年でいかに進歩してきたかを思い出させてくれる。

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機械美とでも言うべきこの複雑な要素の絡み合い、実に心をくすぐるものである。
しかしふと思う、きっと私たちが今、当たり前に使っているこうしたガジェットたちも、
やがてこうしてアンティーク扱いされる時がやってくるはずなのである。

そのとき、そのアンティークはこんな風に美しく見えるだろうか。

引用元:Viralnova 

http://karapaia.livedoor.biz/archives/52178406.html引用

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 ヨーロッパ中世の書物には様々な形態があり、その記載内容と相まって、西洋文明のさらなる理解を促してくれる。今日、現存する写本の多くは宗教関連のものだが、科学や歴史に関するもの、さらには小説といったものも存在する。

 そうした写本はそれぞれの内容以外にも、言語、教育、科学の発展を知る上で貴重な資料だ。ヴォイニッチ手稿は、1912年イタリアで発見された古文書であり、暗号とおぼしき未知の文字で記され、多数の彩色挿し絵が描かれている。 

ヴォイニッチ手稿だは、15世紀末から16世紀初頭に中央ヨーロッパ、おそらく北イタリアで作成された。ベラムという羊皮紙で製本され、およそ240ページに渡ってびっしりと文章が書き込まれている。その書名は、この本を1912年に入手した古書商ウィルフリッド・ヴォイニッチに因んだもので、作者は不明である。また113種類の植物、瓶の中の薬、黄道十二宮、入浴する女性など、イラストも豊富に記載されている。

 貴重な情報源となり得るヴォイニッチ手稿であるが、残念なことにそこに書き込まれた内容は誰も読むことができない。言語学者、歴史学者、暗号の専門家、さらには世界大戦で活躍した暗号解読者など、これまで幾多の専門家が丸文字風の書体の解析に挑んだが、いずれも失敗に終わっている。

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バイネッケ・レア・ブック・アンド・マヌスクリップト図書館

  また不思議なことに、この手稿に記載される113種類の植物はかなり詳細に描かれているにもかかわらず、何の植物を描いたものなのか判然とせず、創作である可能性もある。それでも基本的には、天文現象から薬草まで、この本の全てが一応はよく知られた事柄に見える。

 歴史家の中には、ヴォイニッチ手稿は薬局方か製薬方法を記載した本であると考える者もいる(当時は、占星術も製薬において重要な役割を果たしていた)。また、全くのデタラメだと主張する者もいるが、真偽の程は定かではない。

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 容器らしきイラストは、薬草の調合割合を示しているように思える
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 入浴中と思わしき女性がよく登場するが、その理由は不明だ。浴槽へ続いているパイプらしきものも謎めいている。
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 天文学または占星術のチャートのようだ。そうであるならば、その内容はこの本を解読するうえで大きな手がかりとなる。
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 折り畳まれたページもある。丁寧に描かれた植物の種類は不明
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 本の中には113種類の植物が描かれているが、その種は特定できていない。そのため、これまでヨーロッパで製本されたと考えられてきたヴォイニッチ手稿だが、別の場所で作られた可能性がある。ひょっととしたらイラストが下手なだけかもしれない。
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 小さく描かれた入浴中の女性たち。一番上の女性たちには表記があるため、何かを象徴する可能性もある。
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 このように謎だらけのヴォイニッチ手稿であるが、その解読へ向けた努力は現在でも続けられている。ある研究者は描かれた植物から、手稿はメキシコに起源を持つと主張している。また、イギリスでは、ある言語学者が14個のシンボルの意味を解読したと主張しているが、その真偽のほどはまだ明らかではない。

 最近、イェール大学バイネッケ・レア・ブック・アンド・マヌスクリップト図書館の手によって、保存状態の悪さから判読不能だった新しいページが修復され、そのスキャン画像が一般公開された。これが、この謎の文章を解読する切っ掛けとなるのだろうか?

via:viralnova・原文翻訳:hiroching 

274: 日本@名無史さん:2006/12/28(木) 00:50:09
それでは・・・ 
おばあちゃんのうち(下町の長屋)には太平洋戦争中もでかいユニオンジャックがあった 
これは、日英同盟のとき町内会で購入したもので 
日の丸とぶっちがいにして家の前に飾った 

大きな木綿の布なんて戦争中は貴重品だったけど 
「柄が柄やから、買出しの風呂敷にも使えん」 
仕方がないので、押入れで布団を包んであったそうです 
みんな1945年3月の大阪大空襲で焼けた 



275:
 日本@名無史さん:2006/12/30(土) 22:32:20
婆さんが子供の頃、決して刃物を使ってはいけない厳しく言われた時刻があった 
(6時から7時だった気がする)。と言うのは、この時刻に何代か前の先祖が切腹したかららしい。 

なぜ切腹させられたかというと、勘定役だった先祖の部下が仕事中にうまの合わ 
ない同僚を刀を抜いて切り殺したそうだ。その場にいた人たちは、先祖も含めて 
クモの子散らすように逃げ出してしまった。

江戸時代後期になると武士も結構軟
弱になったてたのだろう。 
その士道にあるまじき行為を咎められ、上司としての部下の管理責任も問われ、 
先祖は謹慎を命ぜられた。処分は近親だけだったが、それを恥じて切腹したらしい。 



298:
 日本@名無史さん:2007/01/26(金) 23:47:43
>>275 
興味深い話をありがとうございます。まあ、逃げた云々はさておき 
切らなくなくてもよい腹を切るのは、廉恥を知るもので武士として 
立派な態度でしょう 
ご存知かも知れませんが、江戸城でも同じような事件がありますので 

ご参考まで 
http://homepage3.nifty.com/motokiyama/nagai/nagai28.html 



277:
 日本@名無史さん:2007/01/04(木) 18:44:39
幕末に流行った「ええじゃないか」の逸話が聞きたい 



278:
 日本@名無史さん:2007/01/06(土) 14:29:08
ええじゃないか参り うちのおばあちゃんの話 
明治の終わりごろすでに年寄りだった人からの伝聞 
 (at 徳島県北部) 

最初はどこから始まるんかわからんのやけどな 
道を行列でひとがくるらしい 
おなかがすいたら、 
人のうちの台所(だいどこ)に大勢で勝手に入って 
そこにあるもん勝手に食べるんやて 

文句ゆうたら 
「ええやないか、ええやないか、なんでもええやないか」 
それだけ言うて、ほかにはなんにもしゃべらへん 
人数の勢いで食べたら出て行くねんて 
大勢で入れる台所やから大きな家でそんなとこは 
しゃないなぁ・・ってことになるらしい。 
(徳島だから)船も「ええやないか」でどやどやのったら 
乗せていってくれたんやて。 

お伊勢さんのそばまで行ったらもう歩かれへんほどの人で 
おまつりみたいやったそうな 
「帰りはどうしたん?」(by孫) 

さぁどうしたんやろなぁ 
とにかく、返ってはきはったらしいで、四国まできたら 
お遍路さんのお接待もあるさかいねぇ・・・ 

こんな話です。(あたしと母とで思い出した分のみ) 
あんまり話が面白いのでうちではテープにとったものがあるのですが、 
昔のオープンリールなので再生ができん。 



279:
 日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:30:19
>>278 
>昔のオープンリールなので再生ができん。 
それってすごく惜しい! 
伝承館とか博物館とか?そういう側でも聞いて見たいんじゃないかな。 
貴重だと思うよ。 



280:
 日本@名無史さん:2007/01/06(土) 16:43:37
>>278 
大学かどっかの研究機関なら涎垂らすぐらい欲しいんじゃないか?それ。 



302:
 藤原南家工藤氏34代目:2007/01/28(日) 00:07:30
こんなスレッドあったんだな、今日知ったよ。それでは俺が聞いた本物の話を。 

20年ほど前に97歳で亡くなった祖母(明治25年生まれ)が、そのまた祖母から聞いたと言っていた話。 

①自分(祖母)のばあやんの頃にひどい飢饉があって(たぶん天保の大飢饉のこと)、
普段な
ら普通に道端に生えているはずの草までが食べ尽くされて一本も無かったと言っていた。 
②昔、大地震があって、すごい揺れのために善光寺の軒が地面についたということだ。 
③やはりその地震の時に、善光寺の裏手から大きな火柱が上がったのを見たそうだ。 

今から25年ほど前に亡くなった近所のおじさんが言っていた話。 
①自分の祖父が子供の頃、官軍が石村の道(今の長野市豊野町石)を通って進んで行った 
のを見たそうだ。そしてしばらくすると大道橋のあたりからパンパンという鉄砲の音が 
したんで、屋根に上って眺めていたと言っていた。 

こういう話って、やっぱ貴重だよね。 



305:
 日本@名無史さん:2007/01/28(日) 09:54:30
>>302 
善光寺が大揺れした地震は、弘化四年(1847年)三月に起きた 
「善光寺地震」のことと思われ 

「弘化4(1847)年3月24日、善光寺を中心として起こった地震。 
善光寺開帳の参詣者約6~7,000人が地震と火災によって死亡した。 」 

⇒ http://www.rekihaku.ac.jp/kenkyuu/katudoh/disaster.html 

曾祖母の方が見られたのはきっと吹き上がった大火の火炎だったのでしょうね。 



390:
 日本@名無史さん:2007/03/11(日) 17:08:52
清水の次郎長の話きぼんぬ 



426:
 日本@名無史さん:2007/05/02(水) 10:32:29
>>390 
近代史の任侠スレから 
31:名無しさん@お腹いっぱい。 :2006/11/13(月) 03:14:05 ID:5uhZKHkjO [sage] 
数年前に闇金で話題になった五菱会(現:二代目美尾組)の創立者は、 
清水一家の後身である清水湊次郎長一家の組員だった。 
清水湊次郎長一家は戦後しばらくして解散したが、 
最後の親分はまだ存命中で、組の看板も残っている。 

うちの曾祖父は昭和中頃まで清水で名の売れていた任侠だったので、 
下手を打ったチンピラが曾祖父の家に逃げ込んで来る事があったが、 
曾祖父がたまたま居ない時に逃げ込んで来たチンピラが、 
追手の次郎長一家構成員に屋敷内で切り殺されたという事があったそうだ。 

祖母はその現場を目の前で見たと言ってた。 
ちなみに曾祖父は昭和30年頃に引退するまで、外出時には長ドスを普通に持ち歩いてたそうだ。 

他には、、、 
太平洋側で唯一の油田である相良油田は次郎長が開墾したもの。 
地元で当時から営業している追分ようかんに確認したところ、 
追分三五郎は創作された人物で実在しなかった。 
う~ん、、、とりあえずこれくらいで。 



563:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 03:21:36 ID:dIznv88x0
よくよく思い出してみればガキの頃、 
腕一本無いおっさんやら、指が何本か無い爺さん連中が、
けっこうそこら辺にいたと思う。 



564:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 14:49:50 ID:QLttVGnI0
>>563 
上野公園とかにいたよ 



567:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 21:00:29 ID:tcd7H7VZ0
>>563 
俺は九州出身だが、1970年頃までは、お祭りの時、出店の並びの一角に、 
傷痍軍人がよくいたなぁ。 

ボロボロの軍服を着て、立っていると、通りすがりの人々がお金を呉れる。 



569:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/11(火) 23:54:27 ID:QLttVGnI0
傷痍軍人はバブルを境にあまりみなくなったな~ 
子供の頃はとにかく怖かったな 



573:
 HaruMix:2007/09/12(水) 14:45:11 ID:39T1JSqi0
曾祖母から聞いた話を書きたいと思います。 
父方の曾祖母は1978年、老衰でなくなりました。104歳でした。 
県最年長寿で日本でもベスト10に入っていたと聞いたことがあります。 

60年代後半、小学生であった私は夏休みには祖父、祖母、
曾祖母のいる父方の実家にだいたい一ヶ月ぐらいあずけられておりました。 

あ、歳がバレルかな、その時曾祖母から色々な話を聞きました。 
今回は曾祖父の話をしたいと思います。 

曾祖母から聞いた話ですが、曾祖父は『人買い』に売られたのだそうです。 
素行の悪かった曾祖父は14歳で家の金を着服し家出、東京に辿り着いたそうです。 
上野か浅草か、私もよく憶えていませんがたぶん浅草だと思うのですが、
仕事があるとの甘言につられ、築地の『蒲鉾屋』に売り飛ばさたと聞きました。 


確か3年分の給料が前借りされ、その『人買い』に渡され本人は3年間無給だったようです。 
その間曾祖父はメキメキ腕を上げたそうで、曾祖父のつくった蒲鉾は宮内庁にもおろされたとか、、 
無給だった3年間がおわっても曾祖父はその『蒲鉾屋』にいたのですが、
飲む打つ買うの3拍子そろった遊び人だったようで、 

心配した『蒲鉾屋』の主人が所帯を持てば落ち着くのではと思い、 
奉行人だった曾祖母を紹介、『蒲鉾屋』の主人夫婦の媒酌のもと祝言をむかえたとのことでした。
明治20年代後半ぐらいですかね。 


後に暖簾分けをしてもらい、渋谷村に店をだしたそうです。 
娘(祖母)も生まれ深川に家を建て順風満帆だったのですが関東大震災が全てを変えたとのことでした。 

ここは、たいへん興味深いトピですね。 
数十年ぶりに曾祖母のことを思い出しました。また続きを書きたいと思います。 



575:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/12(水) 23:44:42 ID:IzDgdQbr0
>>573 
当時の浅草は今の渋谷並だからなあ、渋谷村つうのも良いね 
いい感じな江戸前感が伝わってきますね 



576:
 HaruMix:2007/09/14(金) 00:12:25 ID:5Mdensgl0
こんばんわ 
HaruMixです。 
曾祖父と曾祖母は、能登出身だったそうで、
だから『蒲鉾屋』の主人が二人を結び付けたのかもしれません。 

けど曾祖母が言うには遊び人だった曾祖父に、
本人自称『しっかり者』の自分が必要だ、と『蒲鉾屋』の主人に言われたとか、、 

ま、それも本当だったのではないかと思います。 

渋谷村の店は背後に竹林を抱いた坂道、駅から5分位のところにあったそうで、
今考えると、スペイン坂のあたりではないかと思います。 

背後の竹林も家の土地だったとか、 

土地が安かったし『ショウデン(山手線かな)』
『イチデン(都電かな)』の駅が近かったからね、と曾祖母が言っていたのを憶えています。 

渋谷村、、、目の付け所がよかったんですね。 
あのまま土地を持ち続けていてくれたら今頃私は億万長者、、、 
渋谷の土地は関東大震災後売却されたそうです。残念、、、 

曾祖母から他にも聞いたのは『ジャリ』、これは東急玉川線のことではないかと思います。 
後に東急玉川線は、多摩川で掘り起こされたジャリの運搬に使われていたと聞きました。 

明治30年頃から大正12年ぐらいまでのことですね。 

渋谷村に店を出してから、曾祖父と曾祖母は、蒲鉾の他、弁当の仕出しを始めたそうです。 
ま、蒲鉾は元々保存食ですし、米も渋谷村で仕入れていたと聞きました。 
渋谷で米がとれたんですね。 

朝早く渋谷へ行き竹の子を掘ります。竹の子は日持ちがよいように濃いめの味付けで煮染められ、
皮はおにぎりを包む包み紙になるんだそうです。 


冷蔵庫が無い時代、売れ残りの弁当はすぐゴミになります、 
1965年頃の、曾祖母と当時11歳の私の会話 

曾祖母『弁当はね、売れ残ったら捨てるしか無いんだよ、』 
私『次の日に売ったら?』 
曾祖母『冷蔵庫なんて便利な物、なかったからね、たくさん売れると思って売れないと大損害だよ、
逆に売り切れると悔しかったね。なんでもっと作っておかなかったと思ってね』 


晩飯は売れ残りの弁当、そんな日がよくあったと、
曾祖母だけではなく、祖父、祖母からも聞かされたことがあります。 

次回より祖母のことも書かせてください。 
以上でした。 



577:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/14(金) 01:20:52 ID:1+lFy2gO0
読みやすいし空気感がイイ 
戦争に入る辺りとかも聞きたいですね 



578:
 HaruMix:2007/09/15(土) 17:42:38 ID:oStHcDrE0
曾祖母いわく、曾祖父は物凄い遊び人だったとのことですが、
聞いたことを思い出す限りではそんなに悪くなかったように思えます。 


曾祖母から聞かされた話をまとめると 
『店の金を持ち出す、真っ昼間から酒を飲む、仕事を放り出して浅草の寄席にいったり
芝居を見に行く、賭場に顔を出す、色町に遊びに行く、贅沢品を買う』 

ですけど、借金もつくらず渋谷村に店をだし深川に家をたてる訳ですから
遊びの限度をわきまえていたのではないかと思います。 


曾祖父の写真を見たことがあります。拳をにぎり足はハの字、
着物の上から背広をはおりジャズバンドのメンバーがかぶるような帽子を斜に被っています。
まあるい目玉を見開き口はヘの字、なんかイキです。 


もっとも曾祖母いわく 
『この写真だってね、このあと飲みに行って酔っぱらってドブにおちてダメにしちゃったんだよ。
高いお金払って銀座で仕立てたのにね、私がいなければ、店も家も建たなかった。』 

と、豪語していましたが、シワクチャの曾祖母の顔がちょっと嬉しそうに見えました。 

祖母は深川で生まれました。明治30年代後半だと思います。
関東大震災のおりにはもう成人してましたから、、、 

日露戦争真っ最中の頃青春を迎えたと思われるのですが、
祖母から日露戦争の話を聞いた記憶がありません。 


祖母は渋谷の女学校に通っていたそうです。
JISXXXXじゃないかなと思うのですが定かではありません。
曾祖父は祖母をダシにして遊びに行っていたようです。 

『娘が芝居を見たがっている』 
と称して店の金を持ち出し、校門の前で待っているんだそうです。 

祖母いわく、 
『そりゃ、うれしかったわよ。美味しいものも食べれるし、お芝居もみれるし』 
曾祖母いわく、 
『ふん、あんたが芝居を見ている間、あの人はなにをやっていたことやら』 

85歳になる父が昭和42年、月島にマンションを買って以後祖母はちょくちょく上京、
歌舞伎や寄席見物をしておりました。 


で、私も結構、御相伴に預かりました。 



581:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/15(土) 21:52:10 ID:2lb1GRpp0
>>578 
関東大震災の話は聞かれましたか? 



582:
 HaruMix:2007/09/16(日) 23:45:31 ID:k5ZPKqtP0
関東大震災 
我が一族の生活を一変させた災害、これについてはそれこそ耳にたこができるほどきかされました。 
追ってお話しようとは思いますが、もう少し曾祖父、曾祖母、祖父、祖母の話をさせてください。 
こうやって書いているとずいぶん色々なことを思い出してしまいまして、、、 

祖母は渋谷で狐に騙されたことがあったそうです。 
夜、渋谷の店の裏口より外に出ようとした時のことです。 
祖母『川だよ、裏口の戸の外、ごうごうと川が流れていたんだよ、
家が呑み込まれるんじゃないかと思ったね』 


慌てて扉を閉める祖母、一呼吸おいて再び扉をあけると、そこはいつもの見慣れた竹林だったとか 
祖母『そしたらね、竹林の向こうに狐火が、チラチラ見えるじゃないか、
このあたりはよく狐が出るとは聞いていたんだけどね、まさか私が騙されるとは思ってもいなかったね』 

渋谷にはまだ狐が住んでいるんですかね、スペイン坂あたりだと思うのですが。 

大正10年頃、女学校を卒業した祖母は、お店の職人であった祖父と結婚します。
結構腕の良い職人だったとのことですが、不思議なことに祖父も能登の出身なんですよね。
曾祖父か曾祖母が能登から呼び寄せたのかも知れませんが今となっては真意の程はさだかではありません。 




583:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/09/19(水) 21:31:54 ID:paITAbI50
>>582 
この時代はまだこういう話が当たり前にあったんですね。
渋谷で狐なんて今では考えられない。 
近代と近世が混じりあったなんともいえない雰囲気がいいですね。 



677:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 07:25:40 ID:GtjDlds5O
ウチの爺ちゃん大正生まれの87才 
骨太のごつい体つきなので徴兵検査で甲種合格したのが自慢 
大陸で撃たれた鉄砲玉が未だに体内に二発入ってるとか(レントゲンで見える) 

その治療後、鹿児島から南方へ向かう途中、
乗ってた軍艦が沈没して泳いで帰ってきたとかいろいろ逸話がある 

爺ちゃんが帰ってこなかったら戦後生まれの母親はいなかったわけで、
なんだか生きて帰ってきてくれて本当に感謝だわ 


沈没した軍艦から一緒に鹿児島まで泳いだ戦友さんと最近まで
年賀状のやり取りしてたが、向こうさんが亡くなられたらしく凄い気落ちしてた… 




681:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/25(火) 09:14:37 ID:wVgiUp6GO
>>677の補足 
出航して最初の夜に沈没したみたいだよ 
夜中の海が真っ暗で死ぬしかないと覚悟を決めたらしい 
生き残った人が何人か海上で集まれて必死に泳いだらしい 
この辺の下りは直接聞いたわけじゃなくて
母親からの又聞きだからニュアンス違うところあるかもしれないけど 

本人は最近あまり戦争の話をしたがらないので聞くのが躊躇われます 



678:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2007/12/24(月) 22:33:14 ID:49Utim3P0
戦友って言葉が凄いリアルだな… 



730:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 04:24:16 ID:6m+kPe6GO
道民だが、うちの先祖はクセありまくりだぜ 
(父方の祖父の家系) 
明治中期頃に金沢から北海道へ開拓移住するってんで親族に金借りたはいいが移住後踏み倒しw 
当然関係は断絶したが、祖父と向こうの奇特な方が辛うじて手紙のみで通じていた。 

んで今年ほぼ100年ぶりに父と母が銀婚式を兼ねて代表として金沢に訪問。家交樹立w 
(父方の祖母の家系) 
曾祖父系、開拓初期に来道し、いい意味で暴れまくる。その頃の書物で漢認定www 
曾祖母、大正初め頃に勘当され広島から北海道へ移住。勘当ってwww 
当然行き来なし。手紙のみ。んで10年前に祖母姉妹で70年ぶりに広島訪問。家交樹立w 

正直、オージー共を笑えん。てか開拓前後の北海道はカオス過ぎて書ききれん。日本だと思えんよ。 
まぁ、何だかんだで両家系とも後に地方名士になるから面白い。 
俺?ただの穀潰しwww 


731: 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/19(土) 04:57:20 ID:6m+kPe6GO
あっ、何だかスレの主旨と違ってたかな。 
ごめんなさい。 
お詫びに伝聞した開拓当時の地元の情景。 
・眼下の地面が動いていたので驚いてよく見ると1000頭超のエゾシカだった。 
・川の流れが止まったのでよく見ると川を埋め尽くした鮭の背広が突き出ていただけだった。 
・木を倒して開墾?楽勝wwwと高を括っていたら、ほとんどが御神木並の巨木だった。 
・雷雲かと思いきやイナゴの大群だった。 
・人跡未踏かと思いきや矢尻や日本刀が見つかった。 



740:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/01/20(日) 01:43:01 ID:6+ei+5W90
>>731 
そうそう、こういうのが知りたいことなんだよなー 
現代に生きる俺らってちいせえなぁとか思ってしまう。 



823:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 15:41:46 ID:0TpKM4jR0
私の祖父がシベリア抑留経験者 

シベリア抑留の悲惨な実態を知り、祖父に尋ねてみたが、 
「ロシア人は優しかった」と、全く予想外の返事がきた。 
祖父曰く、ロシア兵はよく残飯をくれて、それで命が助かったと。 

なんとも評しがたい話だが、祖父はただ生還できた事を感謝していた。 
祖父の話は他にも、農作業の後収穫したジャガイモが一人に2つずつ 
配られ、それで餅を作ったとか、食い物に関してばかりだった。 



824:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/26(火) 19:16:47 ID:/RsUP5+i0
>>823 
帰還できたのは何よりですね、 
私の祖父はシベリアからは還ってくることが出来ませんでした。 
祖母の許には(誰のだか判らないような)赤茶けた髪が一房 
届けられただけだったそうです。 



827:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/02/28(木) 15:40:16 ID:pfkn2GPx0
>>823 
光人社の戦記見てても、 
ソ連許せねええええええええええええええええええ 
って人でも、ロシア人は優しかったってみんな書いてるんだよね 
大体食い物ネタだが… 
友達のじいちゃんから聞いたけど、食べ物はよくもらってたらしい。 

あと、捕虜に暴行したソ連将校が二等兵に降格された話とか 
日本軍じゃ考えられんって驚いてたな 



93:名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/08(日) 22:45:30 ID:e67BnEAq0
士族だったひいじいちゃんの家に伝わる話。 
正月に近所の若い衆が餅つきするんだけどそれみて「あいつは人が斬れん」 
とか「こいつは斬るな」とか言っていたらしい。腰と手の絞りが持ちつきと 
剣術似てるとからしいけど。 



127:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/12(木) 23:21:50 ID:ISlZJNIA0
明治の頃は女性も時々道で「立ちしょん」したって昔ひいばあちゃんが言ってた。 
どうやってやったんだろう。でも明治になって外人が来て確か政府は切り鼻と 
女性の路上放尿をやめるように通達したとかって話しがあるから本当だったんだろうけど 



129:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/13(金) 02:23:04 ID:oPWdlBW80
>>127 
今でも田舎行くと婆さんが立ちションしてるのが見られるよ。 



169:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 21:59:10 ID:WX8tRqUl0
婆ちゃんの実家は信州の東筑摩郡というすごい山中で、サンカの話は聞いてる。 
実家は見た目は普通の農家なんだけど、副業で薬屋をやっていて 
年に2回サンカが、霊芝・熊の胆・薬草とか、漢方薬の原料を売りに来る。 
代金は金じゃなくて、米や豆で払う。 

サンカの人は異様な風体だから、来る日は子供心にドキドキしたそうだ。 
太平洋戦争が始まったらサンカが来なくなった。 
風の便りで、国の命令で新潟県に定住させられたらしい。戦争中だから 
徴兵のために強制的に定住させられたんじゃないか、と婆ちゃんがいってた。 



170:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/27(金) 22:54:18 ID:X0+3xnbeO
ゴメン。スレチは承知での頼みです。サンカとやらを簡単に説明願います。 



184:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/06/28(土) 18:46:45 ID:I6FKTPJs0
>>170 
定住せず田畑を持たないで山に住む人々だったかな 
江戸時代では被差別階級に属した 

サンカ
サンカは、日本の山地や里周辺部で過去に見られたとされる不特定の人びとを指す言葉である。
その言葉が指し示す範囲は、時代や使用者によって大きく変わり、語義を明確にすることは難しい。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/サンカ (民俗学)



324:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/15(火) 23:20:18 ID:NSPyPrju0
20年前に死んだ爺さんが子供のときに犬に追いかけられた。 
その時たまたま通りがかった人が日本刀で犬を斬り殺してくれたそうだ。 
当時は犬など話し飼いだったって言うけど焼けんじゃなさそうだし飼い主は 
心配しているかもなどとほっとしながらおもったそうな 



327:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 11:52:37 ID:Jfp66E0T0
>>324 
すげえな…今だったら動物愛護団体から責められるぜ。 
犬切った人は警察? 
昔(廃刀令後)は外で刀もっていていいのは警察・軍人・貴族・消防署の人だっけ? 



330:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/16(水) 20:05:06 ID:sITZIDuMO
>>327 
よく知ってるな。消防署まで知ってる人はあまり居ないと思います。 
曾祖父は消防署所長だったので今でもサーベルあります。 
ただし、戦後GHQにより刃を中程から叩き折られて、斬れないですけど 



361:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/07/17(木) 22:46:53 ID:1EvlsaNZ0
西南戦争の時、ひーばあちゃんの家に西郷隆盛が泊まりに来て 
お礼にナギナタと鉄砲を一本ずつ置いていったんだって。 
この話聞いたときびっくりして、思わずソースきぼんぬって言いそうになった。 
ちなみにそのナギナタと鉄砲は、第二次世界大戦の時に兵隊に回収されたんだと。 
ハナクソみたいな金属が当時の日本には必要だったんだな。 



438:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 13:44:29 ID:HH+rV9fd0
徴兵され、陸軍二等兵としてスマトラ島(インドネシア)へ送られた祖父の話。 

田舎の一本道を輸送車両で走っていると、荷物をたくさん背負ったお爺さんが歩いていた。 
上官から「原住民とは仲良くやれ」と言われていたので、 
そのお爺さんと荷物を軍用トラックで、途中まで送ってやったという。 

数日後、同じ道を走っていると、例のお爺さんが道端の木陰に座り込んでいる。 
運転席に祖父の顔を見つけると、ニコニコ笑いながら近づいてくる。 
(また、乗せてくれか。今日は軍事物資積んでいるし、他の兵士も同乗しているからなぁ・・・) 
と困惑していると、何十本ものバナナの山を差し出した。 

言葉は何を言っているのかわからないけど、「先日の礼だ、受け取ってくれ」ということらしい。 
バナナを荷台の隅へ積むと、お爺さんは、満足げに村の方へ戻って行った。 
いつ来るとも知れぬ祖父が通りかかるのを、毎日道端で待ち続けていたということだ。 

長文、スマソ 



439:
 名無しさん@お腹いっぱい。:2008/08/05(火) 18:21:19 ID:cJZGBp9G0
ええ話や 



284: 日本@名無史さん:2007/01/16(火) 20:57:54
皆、じいちゃんばあちゃん大事にしろよ・・・
 

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4093820.html引用

1:日本@名無史さん:2006/11/06(月) 03:56:09
君が爺さん、婆さんから聞いた、リアルな実体験話を 
皆に聞かせるためのスレッド。 

歴史上の有名人との接触 
歴史上重要な出来事に関わった話 
先祖が英雄で、身内しか聞けない話 
その他、どうでもいいがおもしろい話 

こんなところかな 
個人的には黒船から日露戦争までの時代の話を聞きたい 
歴史
13: 日本@名無史さん:2006/11/06(月) 16:45:00
大正後半から昭和初期の話だが、うちの曾祖母は小卒後、
地元の県立工業学校で自動織機を学びながら働いてて、 

当時としては貴重な技術だったため、小学校の校長と同じ給料を貰ってたとさ。 

数ヵ月に一度は実家に田畑を買ってやったと言ってた。 
歳にして13~だから、今の時代じゃ考えられんな。 
俺なら田畑を自前で所有して、零細農家から買ってきた娘を小作兼妾として囲ったなw 



57:
 日本@名無史さん:2006/11/10(金) 00:31:27
俺も昔は親父にボコボコ殴られたな。 
まだ工房だが。 
近所の娘は中二の時に漫画ばっか読んでたら祖父に怒られ、 
パンツ一枚で何時間か庭の木に縛りつけられてたよ。 
塾の隣の家だから皆で観察してたな。 
父権が強すぎるとこういう輩もいるんだろう。 



58:
 日本@名無史さん:2006/11/10(金) 00:38:37
娘をパンツ一枚 
それなんてエロゲ? 



65:
 57:2006/11/10(金) 17:31:32
>>58 
孫だよ。 
かなり衝撃的だった。 

昔はよくあった事なのかな? 



66:
 日本@名無しさん:2006/11/10(金) 17:40:34
>>65 
別段珍しいことじゃないかと。 

というか、今が幼児虐待がポルノが如何とか五月蝿過ぎ。 
昔はこういうことはしても、テレビを賑すようなアレなことはそれほど。 
現代がアホを生み、アホが師匠になって今に至っているというか。 



89:
 日本@名無史さん:2006/11/11(土) 04:10:47
幕臣時代の福沢諭吉!けっこうかっこいい! 
この頃、ガキだった人が俺が生まれた時、まだ何人か生きていたと 
思うと、俺も年とったと思うよ・・・。 
89_1



113:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 06:50:23
死んだ爺さんはノモンハンに従軍して無傷で帰ってきたが、 
(今ではソ連側の資料で双方大損害であることが明らかだが) 
当事者として感じたのは、 
「これだけ装備に差があって勝てるわけがね~」 
だったそうです。 

もう一方の爺さんはビルマから復員したが、死ぬ間際はうわごとで 
「上官殿ォ~!我々はお国と銃後を守らねばならぬ~!」と何度も叫んでいた。。。 
おそらくフルメタルジャケット的新兵教育を受けたのがよほど辛い経験だったと思われる。 

あと、さすが軍隊にいただけあって俺のおもちゃのピストルを 
指でくるくる回してホルスターに入れるのが巧かったw 
幕末でも明治でも大正でもない話ですまそ。 



114:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 12:44:38
>>113 
かなりなごんだ 
文才あるよ。 



115:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 13:33:04
俺が10才の時に死んだヒイ爺さんは、日露戦争開戦時に東京で学生してたが 
第二軍第三師団(名古屋)の兵士として出征し、遼陽や奉天で戦っている。 
大学の同級生の多くも志願したが、第三軍(旅順攻撃)に配属された 
東京・北陸・四国・北海道出身者のほとんどは戦死したそうだ。

だから
「乃木のせいでいい奴らが沢山死んだ」と乃木大将の事をひどく嫌っていた。 
陸軍の兵士だったのに、海軍の東郷元帥のことを神のように崇めていて、 
客間に東郷元帥の御真影が飾ってあった。 

太平洋戦争時は「東條みたいなキチガイが起した戦争に勝てる訳がない」と 
公言して、非翼賛候補を応援したり、自由主義者を家に匿ったりしたから、 
警察に呼び出されたり、私服警官が家の廻りをウロウロしたりしていたそうだ。 

もし在郷軍人会の役員じゃなかったら逮捕されていた。 
でも戦後は在郷軍人会の役員してたのが仇になってパージ食らって、 
共産主義者から吊し上げ食らってたそうだ。「折角戦争が終わったのに、 
特高の嫌がらせよりも、アカの嫌がらせの方が陰湿だ」と嘆いていたそうだ。 

朝鮮戦争が始まると今度はアカの連中がパージ食らって、ヒイ爺さん達が 
復活し、昭和30年頃までは町中が落着かなかったらしい。 



118:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 19:00:01
>>115 
わかる。 
まだ日本男児の気概が残っていたんだろうな。 
俺の母の爺ちゃんの話で戦時中でも
そういう男気のある日本人がいたことは聞いているし。 



126:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 23:57:23
>>115 
波乱万丈だなw 
ちょうど、 
日露から太平洋戦争跨いで終戦後までを生きた
世代の人ってぜったい面白い話ゴロゴロ持ってるよな。 
酸いも甘いも経験してるっつうか。 



119:
 日本@名無史さん:2006/11/14(火) 20:08:26
大正生まれの死んだ婆ちゃんは大阪のど真ん中に住んでたスーパーお嬢様。
昭和の初期に宝塚観劇に日参し、神戸の外人が経営する
ケーキ屋やチョコレート屋に買い物に行っていたそうだ。 


戦時中は別荘に疎開し、そこでもすき焼きやアイスクリームを食べていたという。
弟は家にある砂糖や水飴を持ち出して、それを餌にナンパ三昧だったそうだ。 

現代と変わらない生活をしていたが、死ぬまでヒトラーとムッソリーニは
日本に味方をした素晴らしい人達だと言っていたのが、時代を感じる。 




127:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 00:02:13
>>119 
船場のこいさんってやつかな。 
当時砂糖は貴重品だったし、毎日宝塚観劇となると本当にお嬢って感じだね 



138:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 17:03:43
大正生まれのうちの爺さん、戦争中は潜水艦にのってました。今でも酔っぱらうと当時の事を話ます。 
追い詰められて、音をたてて敵にみつからないよう真っ暗な艦内の中、ただ耐え忍ぶ恐怖。 
聞こえるのは敵がおとす機雷の爆発音だけ。極限の状態で思い出すのは母親の顔だったそうです。 
こういった体験を自分の子供達に伝えていくことも、僕らの大切な役目だと考えます。 



139:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:08:06
>>138 
Uボートの別名は鉄の棺桶。 
日本軍のはそれに輪を掛けて酷かっただろうね・・・。 



140:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 18:14:03
山県有朋や松方正義と話したことのある人が生きている可能性はあるな。 



145:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 19:37:30
>>140 
うちの婆ちゃんは91才だが、東郷平八郎と会っている。 
どういう理由か、婆ちゃんが通っている女学校に来たそうだ。 
生徒を代表して婆ちゃんが「閣下、揮毫して下さい」と言ったら、 
気軽に一筆書いてくれたそうだ。それは今でも学校にあるらしい。 

何か御言葉があるかと期待していたが、最初から最後まで一言も発せず 
声は聴けなかったそうだ。最初耳が聞こえないのかと思ったが 
「揮毫して下さい」と言ったら直ぐに書いてくれたので、 
聞こえてたはずだとのこと。 



149:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 21:14:00
>>145 
薩摩隼人だからな、尋常じゃないくらい無口なんだろうw 



152:
 日本@名無史さん:2006/11/16(木) 02:08:09
>>145 
これ面白い逸話だね。アリガトン 



146:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 19:59:38
オレの曽祖父は大工だった(祖父も)。 
その曽祖父が横浜の本牧に、ある政治家の肝煎りで遊郭のようなものを作り始めた。 
ところが準備万端整えて建て前までしたのだが、突然打ち切りになった。 
曽祖父は引くに引かれず仕方なく最後まで作ってしまったらしい。 
曾祖母はそれいらい政治家のことが大嫌いになった。 

その政治家とは尾崎咢堂である。 



147:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 20:15:13
>>146 
貴重な話をありがとうございます。 

素晴らしい!! 



151:
 日本@名無史さん:2006/11/15(水) 22:51:59
明治30年代生まれだった祖母は洋服を「簡単服」と言っていました。 
キセルで煙草をばんばん吸っていました。 



153:
 日本@名無史さん:2006/11/16(木) 02:28:11
簡易服 
ある意味なるほどと思った 



164:
 :日本@名無史さん :2006/11/16(木) 21:29:30
関東じゃ有名な話だけど、薩長が日本中で嫌われてる本当の理由は九州や中国 
の強盗まがいの在日部落民を戊辰であちこちに移住させたから。朝鮮系パチ屋 
やサラ金やヤクザは皆その系統の移民。 



168:
 日本@名無史さん:2006/11/16(木) 22:40:27
>>164 
好き勝手歴史を塗り替えたしな 



170:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 02:14:58
薩長の最大の罪は、明治期以後江戸の町並みと
文化を完全に破壊しつくしてカケラも残さなかったことじゃないだろうか 



173:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 11:35:27
>>170 
関東大震災と東京大空襲で、江戸の街並は灰燼に帰した。 
京都は1985年頃まで古い街並がよく残っていたが 
バブルの地上げで見る影もなくなった。 



175:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 14:01:56
>>173 
京都の惨状は世界的に有名らしいね。
何故あんなに貴重な文化を破壊したんだ!ってさ。 
アメリカのメル友に嘆かれた事ある。作り話じゃなくて。 



177:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 15:33:23
>>175 
米軍も、京都と奈良は文化遺産保護のために爆撃しなかったからな。 
戦争でも守られた文化遺産を、不動産屋やヤクザが次々に破壊しても 
見て見ぬ振りをしているんだから、解同採用枠のある京都市役所らしいよw 



178:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 15:34:58
>>177 
その文化遺産保護ってのは本当なんだっけ? 



179:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 15:44:48
>>178 
湾岸戦争やイラク戦争でも、ウル、バビロン、ニネベといった遺跡を 
米軍は爆撃しなかったから、良い悪いは別にして国民性だろう。 



172:
 日本@名無史さん:2006/11/17(金) 09:25:26
五重の塔でさえ売りに出したんだもんな。馬鹿過ぎだよ 



209:
 日本@名無史さん:2006/11/19(日) 11:50:00
明治生まれの俺の爺さんが父親(俺のひい爺さん)から聞かされた話だが、 
ひい爺さんは西南戦争に従軍していたらしい。西郷軍には戦国時代の鎧兜姿や 
火縄銃を持って従軍した兵士がいたそうだ。
そこらへんに腐乱死体が転がっていて
悪臭がひどかったとか聞かされた。 



215:
 日本@名無史さん:2006/11/26(日) 18:53:06
祖母から聞いた歌が「クロポトキンの首をとり~」 
日露戦争時にはやった歌の一部らしい 



217:
 日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:20:50
>>215 
お手玉しながら唄うヤツだろ 
漏れは母親から聞いたorz 

ゲキレツランパン破裂して 
日露戦争始まった 
とっとと進むは日本の兵 
さっさと逃げるはロシアの兵 
クロポトキンの首を取り 
東郷元帥万々歳 

だったな。1行目は意味不明。
なんでクロポトキンをやって東郷が万歳なのかもわからないし。 



218:
 日本@名無史さん:2006/11/26(日) 23:34:20
うちの婆ちゃんのお手玉の歌はこれだった。 
もちろん全然意味が判らなかったが、 
ガキの時にさんざん聞いたから耳から離れない、今でも歌える。 
文部省唱歌だったんだな。 

旅順開城約成りて 敵の将軍ステッセル 
乃木大将と会見の 所は何処水師営 
庭に一本棗の木 弾丸あともいちじるく 
くづれ残れる民屋に 今ぞ相見る二将軍 



226:
 日本@名無史さん:2006/11/29(水) 18:34:51
おれも婆さんからいろいろ話を聞いたけど、 
印象に残ってるのはほんと差別が凄ぇな昔は。 
橋がかかってる場所のこっち側と向こう側では別世界、 
例えるなら白人居住地と黒人居住地みたいな差別があったらしいな。 

地方や集落により様々だろうけど、 
今の時代もてはやされる双子ちゃんは、 
犬畜生みたいな捉え方で、生まれてすぐ・・・してたと聞いたな 
特に男と女の双子は心中したもんの生まれ変わりで 
最も忌み嫌われたらしいなぁ 



232:
 日本@名無史さん:2006/11/30(木) 15:16:46
俺の婆さん(90歳。ご存命!)が子供の頃、近所に住んでいた老婆は 
(天保以前、ひょっとして文化、文政生まれくらいか?) 
少女の頃、打ち首になった自分の父親の首をフロシキに包んで、家まで 
持って帰ってきたらしい。「ミニにたこができる」ほどこの話を聞かされた。 



233:
 日本@名無史さん:2006/11/30(木) 16:51:52
>>232 
リアルだな… 



235:
 日本@名無史さん:2006/12/01(金) 00:38:41
俺の爺ちゃん 
若い時、本田宗一郎の知り合いで 
本田宗一郎がバイク屋を始める時に 
一緒にやらないか?と誘われたが 
金にならないからと言って断った 
爺ちゃんの見る目無し! 



244:
 日本@名無史さん:2006/12/04(月) 02:48:34
>>235 
もし受けてれば今頃お前は大金持だな 



237:
 日本@名無史さん:2006/12/01(金) 01:11:00
当時本田家の近所(赤坂?)では「スピード狂のオヤジ」扱いだったらしい 



238:
 日本@名無史さん:2006/12/01(金) 11:09:51
世界を変えるのはいつも奇人変人 
凡人はその後をついていくだけなのだ 



247:
 日本@名無史さん:2006/12/04(月) 18:48:58
父からのまた聞きの話だが、 
うちの爺さんかひい爺さんは、幼いころの与謝野晶子のご近所さんで、 
与謝野晶子は近所では「あの子と遊んじゃいけません!」なんて言われている 
不良娘だったらしい。 



250:
 日本@名無史さん:2006/12/04(月) 22:52:13
>>247 
ま、今では当たり前だがその頃恋愛結婚なんてふしだらな事やったんだからな 
40年前にジーパン履いて歩き回るようなもんだよ 



252:
 日本@名無史さん:2006/12/14(木) 21:11:58
うちの祖父は関東軍で、終戦でシベリアに抑留され復員したのは昭和24年。 
その時うちの親父は5歳で、写真でしか自分の父親を知らなかったから 
写真とは変わり果てた父親から「お父さんだよ」と言われても実感がなく、 
見知らぬおじさんだと思って逃げてしまったそうだ。祖父も辛かっただろうな。 

シベリアの収容所では全員が栄養失調で、毎日のように戦友が死んだそうだ。 
夕べ「おやすみ」と言い合った仲間が、朝になったら死んでいる。 
「こんなところで死ねるか、絶対に生きて帰ってやる」と強く思いつづける事で 
生き抜いた、と言ってた。8年前に死ぬまでロシア人を呪っていたよ。 
祖父の口グセは「ロスケだけは信じるな」だった。 



272:
 日本@名無史さん:2006/12/26(火) 22:37:06
うちのひいばあちゃんは明治35年(1901)生まれ、でもって話好き。 
四国の生まれだが8歳のとき蝦夷開拓移民団で北海道へ 
17歳で四国に帰り大阪へ奉公に 
そこで結婚した。 

北海道へ行く時の船は四国から、下関 金沢 新潟 函館 と(江戸廻船!)ルートだったそうな。 
途中で日露戦争の大砲の音を聞いたといってた・・ 
北海道の開拓はものすごかったが若かったのでおもしろかったとか 
クマの話や馬橇に乗るのは病人の出たときだけだったって。 

結婚したら米騒動、 
鈴木商店や三菱(大阪)の倉庫の周りを 
銃剣つけた兵隊さんが囲みその周りを竹やりのおっちゃんたちが囲んでいるのを目撃したらしい。 

「男が俵もって逃げるのを見てたら、 
ほいねぇちゃん・・いうて米ぎょうさん地面にこぼしてくれて、 
おおきに いうて手ですくうて前かけいれて・・」と話し出すときりがない・・・ 

ばあちゃんの小さいころすでにおばあさんだった人から 
エエジャナイカ参りの話を聞いて「昔はむちゃしたんやなぁ」と思ったそうです 
99まで生きて2000年没 



273:
 日本@名無史さん:2006/12/26(火) 23:33:48
>>272 
すげーな。 
もっと聞かせておくれ 




122:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 12:32:45 ID:jFurU4FoO
ジパングかよw 
奇跡の作戦キスカの時には、あんな戦闘は無かったはずだがな。 
お互いに誤認で、関係無い所で砲撃しただけで。 
ミッドウェーでは、夜中に利根のカタパルトに細工していた小柄な人物が目撃されてたり 
アメリカの攻撃隊が光る飛行物体を追いかけていたら、日本艦隊の真上に出たとかあったっけ。 



123:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 13:24:52 ID:MSg47DDLO
>>122それの事だ。確かアッツで玉砕した英霊が助けてくれたとか言ってたやつ。あとコレは本当かわからんが戦艦陸奥の爆沈直前に二番砲の上にたたずむ口裂け女らしきモノが目撃されたとか… 



124:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 15:09:37 ID:4DJfMllCO
日本中央の碑とかは? 
つぼのいしぶみ
青森県東北町にある石碑のことである。

1949年(昭和24年)6月21日、当時甲地村であった石文集落近くの赤川上流で千曳在住の川村種吉により発見された、高さ1.5mほどの自然石に「日本中央」と刻まれた碑である。

発見後、新聞社や学者が調査を行うが、本物のつぼのいしぶみであるとする鑑定がはっきりと出されていないのが現状である。これは、袖中抄の記述とは一致するが常識とは違う「日本中央」という文面や、多賀城碑の存在、坂上田村麻呂が現地に到達した伝承がないという問題、一見して達筆であるとは言えない字の形も鑑定に影響を及ぼしている。

「日本中央」という文面の問題は、喜田貞吉は、千島列島を考慮することで問題は解決するとした。一方、日本という名前を蝦夷の土地に使っていた例もあり、蝦夷の土地の中央であるから「日本中央」であるという説もある。津軽の安藤氏も日之本将軍を自称し、しかもそれが天皇にも認められていた。また、豊臣秀吉の手紙でも奥州を「日本」と表現した例がある(この場合、よみは『ひのもと』となる)。

また、坂上田村麻呂はこの地に到達していないが、文屋綿麻呂はこの地に到達している。

現在、日本中央の碑保存館の中にこの石碑は保存されている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/日本中央の碑



125:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 16:29:00 ID:YH+dB6Nz0
司馬遼太郎の「街道を行く」の三浦半島紀の中の記述。 
作戦が成功してキスカから撤退している途中、アッツ島沖を通る時に 
全滅しているはずのアッツ島から「万歳」という声がこだました。 
それを複数の人がきいた。 
司馬遼太郎は「私は魑魅魍魎談を好まないが、この話は信じたい」と書いた 



150:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 00:09:14 ID:g3rMFlIy0
>>125 
歴史とは異なるが、同じく司馬遼太郎氏の体験で不思議なのは 
京都洛北の志明院での物之怪体験。有名ですね。 
あと、作家の有名な体験といえば、 
遠藤周作氏が熱海の温泉旅館で体験した幽霊談。 
漫画家の有名な話では、滝田ゆう氏が某日本家屋に泊まった時 
昼間に体験した幽霊談。 
もっともっと有名なのが、乃木大将が野戦訓練最中に実際に見た幽霊。 
乃木大将は学習院の授業でこの体験談を話した。 



126:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 16:29:31 ID:8CGACMFVO
宣教師ザビエル氏。 
教科書に出てくる日本に布教活動にきたポルトガル人。 
事件わ彼の死後に起こった。 
彼は死後、腐敗しないという奇跡を起こす。 
神の御技の証だと、彼とゆかりのある日本の教会に彼の腕が「聖腕(バチカンが 
聖人と認め体から切断した。)」 として、送られたこともある。 
 詳細「ザビエル 奇跡」で検索を。 
ザビエルも困った「キリスト教」の矛盾を突く日本人
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4384349.html



250:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 23:26:37 ID:S/IUi2q50
>>126 
激しく遅レスだが、何故かキリスト教では聖人の遺体は腐らないと 
信じられている。 
実際にルルドのベルナデットの遺体は腐っていない。 
(顔の部分だけマスクみたいなもので覆われていたとか、見てきた 
人が言っていた) 
マザー・テレサも腐らないのかな? 



276:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 14:36:26 ID:nP+lgT+U0
>>250 
腐ってるよ。顔はマスク、手も作り物。 
1920年代には、保存のために皮膚にロウが塗られた。防腐処置をされてるだけ。 



130:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 18:44:14 ID:6SCfLNOJO
イエスキリストは日本に来て東北地方に住み着いたって話なかった? 

あと、源実朝が庭を走り回る青女を見たって話とか。 
一番気になるのが、東大寺?の大般若経転読会で、寺ゆかりの歴史的偉人の名が次々読み上げられるが、 
その中に「青衣(しょうえ)の女人」と言う名がある事。 
何でも昔に「何故私を読み落とすか?」と亡霊?が現れて、 
僧が機転を利かせて「青衣の女人」と読み上げたら消えたらしいんだが、 
一体誰なのか。気になる。 
これマジ? 青森のミステリースポット「キリストの墓」 海外からも注目
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4522538.html



132:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 19:20:09 ID:Hq7OXUlp0
>>130 
青森の新郷村にはキリストの墓がある 
もとは戸来(へらい)村。 
その へらい は ヘブライ から来たそうだ。 
地域に伝わる歌「ナニヤドヤラ」はヘブライ語らしい・・・ 

ちなみにキリストの弟 イスキリ の墓もある。 



139:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 22:10:35 ID:E/oqEUCaO
>>132 
実家が岩手の北部で戸来村から恐らく100㌔くらい離れてるけど 
ナニャドラヤは盆踊りとかで歌われてた。 

キリスト云々ってのは聞いた事あるけどどうも胡散臭いよねえ。。 

地元で不思議な語感の地名や何かはアイヌ語が由来のものも多いらしいから 
アイヌ語が由来だって言われれば、素直に納得するんだけど。 



140:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 22:29:41 ID:GBGxUjJcO
いろはにほへと…は遺書だったっていうのは本当? 



141:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 22:36:13 ID:tttLD7leO
いろは歌を七文字ずつ切って、語尾をつなげると 
「とかなくてしす」 

「咎なくて死す」 

「罪もないのに刑に処され死ぬ」 

になるってやつか。 
後世になってこじつけたやら、説はたくさんあったはず…… 



142:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 23:05:47 ID:JFb6VwXx0
アイヌ語由来の地名って、何時頃ついたんだろう。 
和人がアイヌ人に取って代わった後もその地名を使い続けたってのも面白いよね、考えてみると。



185:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 01:20:26 ID:COI7gAkj0
>>142 遅レスだけど 関東以北のアイヌ語地名は「谷」の読み方に残ってるって 
説を読んだ事ある。関西・中部くらいまでは「たに」って読んで関東から北は 
「や」とか「やつ」「やと」って読む。アイヌ語の谷→ヤツが語源らしい。 



192:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 04:31:40 ID:dyHqc4GPO
>>142 
遅レスですが、 
アイヌ語地名は縄文時代以前からあったと思われます。 

アメリカでもネイティブアメリカン由来の地名って 
結構多かったはず。アイダホとか。 

ウロ覚えなのですが昔読んだ本で、 
アイヌ語で崖を意味するピラ、ヒラという言葉が 
現在地名の漢字表記では「平」になってしまい、 
地名で「平らで安全な土地」と思い住んだ人達が 
崖崩れ等の被害にあってしまったという話があったような… 

スレ違い&長文&ウロ覚え情報失礼しました。 



143:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 23:14:57 ID:u5glzYUFO
男なら一度は憧れる職業忍者ってどうなったの? 
明治以降から全く話を聞かないんだが 

俺としては陸軍中野学校の教官とかをやってて欲しい。 

そういえば戦後陸軍中野学校の関係者が次々と行方不明になった話を聞いた 
で、戦国最強の忍者集団はどこなんだ?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4642709.html



146:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 23:33:04 ID:nSGuNpnpO
>>143 
日中戦争の折りに忍術宗家の倅が棒手裏剣で敵を倒したって話は聞いたことあるぞ 

伊賀、甲賀ともに今もあるはず 
武道としての忍術や忍術パフォーマンスなんかで辛うじて生き延びている 
最近じゃ手裏剣術のみの流派もあるみたいね 



149:里中美子 ◆UIiQ5N7wO6 :2007/04/28(土) 00:03:28 ID:8B2085R/O
>>146 
そのレスで思い出したが、日中戦争に先祖伝来の鎧兜を着て参戦した奴が居たな。 
写真で見たことあるが、何がどうとは言えないが、すごかった。 



157:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 00:42:45 ID:YWByqlpw0
>>149 
この人だね 
http://www.warbirds.jp/heiki/kanamaru2.htm 

確かに何がどうとは言えないがすごいw 



145:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 23:21:42 ID:UB4fVFrW0
隠密といえば松尾芭蕉 



148:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 23:51:07 ID:wfC/KuGe0
>>145 
おくのほそ道 はアリエナスな速さで歩きとおした!!! 



168:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 14:53:55 ID:cgUqpsGM0
肉人で思い出した。 
個人的に、鵺の存在が気になる。 
大阪に鵺塚もあるし・・行った事はないけど。 

あとは、昔話になっちゃうけど、飴を買いに来た幽霊。 
その時見た姿が、絵になって残ってるんだっけか? 



170:ホペータにチュウ星人(♀) ◆l9nKp336/U :2007/04/28(土) 16:43:55 ID:xMygK0CbO
>>168 
(・∀・ )確か、赤子を育てる為に 
飴買いに来てた女幽霊の話って 
京都東山の松原通り近くの 
六波羅密寺周辺だったっけ? 



173:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 21:15:03 ID:cgUqpsGM0
>>170 
どこだったかなぁ・・多分その辺りだったと思う。 



174:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 23:02:12 ID:ZKbJ08dH0
上のほうに出てるけど、義経=ジンギスカン説って誰が最初に言い出したんだろ? 
シーボルトが唱えたとか、戦争中に国策で(五族協和か?)でその道の権威である研究者が言わされ、 
臨終で「実はあれウソ」と言ったという話は聞いたことあるのだが、はっきりしたことは知らないな 

あと明智光秀=南光坊天海説、徳川家光は実は家康の子供だった説は作家が言い出したんだっけ 



176:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 23:16:17 ID:FaVe6stH0
>>174 
http://www.library.pref.osaka.jp/nakato/shotenji/19_yoshi.html 
参考に。 



177:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 23:38:25 ID:ZKbJ08dH0
>>176 
面白い資料ありが㌧参考になったよ 



194:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 05:50:11 ID:LoJI+4nsO
蒙古襲来時に神風を起こしたのは日本を守ろうとした陰陽師団のしわざだそうだ。 



198:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 09:56:08 ID:x4DjafsFO
>>194 
実際は船が沈むような嵐はなくて、蒙古軍の指揮官同士がケンカして戦争どころじゃなくなって帰った。 
て説が有力って聞いてがっかりした。 

あと、蒙古軍の航路を見るかぎり本気で日本を侵略しようとはしてなかったらしい。 
何しに来たんだろ 



199:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 10:16:10 ID:TkzVg8Oj0
>>198 
当時は日本列島が南北逆の地図(『混一彊理歴代国都之図』参照)を 
使っていたようで、それを考慮した考察がされているのでしょうか? 



200:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 10:26:58 ID:yoyuDtSj0
>>199 
その地図ってほんとにあったの?あすかあきおの本に 
出てきたからあいつの妄想だと思ってた。 



201:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 10:38:27 ID:TkzVg8Oj0
>>200 
検索したら画像もありました。 
http://yamatai.cside.com/tousennsetu/konitu.htm 



203:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 12:23:00 ID:x4DjafsFO
>>201 
ほんとだ!!すげー!! 
何これ?!どうしてこんな方向向いてるの? 
もしかして九州が日本のすべてだと思ってたのかな? 

沖縄方面に長いからもしかして海底神殿がまだ地上にあった頃の地図かなんて小学生みたいなこと考えてしまう。 

蒙古についてはこの地図のことは考慮されてないかも!調べます。 



207:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 13:46:15 ID:TkzVg8Oj0
>>203 
でもこの記事って否定してますね。 
これは初見ですね。 



205:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 13:03:25 ID:sAsp7ga90
鎌倉幕府二代執権の北条義時は、ある日、日頃の多忙な職務の疲れが 
一気に出てうつらうつらと眠ってしまった。 
すると… 夢の中に十二神将が現れて義時にこう告げる。 
「来年の鶴岡八幡宮の儀式に出ると大変なことがあるんで出ちゃダメ」 
義時は神仏のお告げということでありがたく思い、その年の暮に 
御堂を建てる(後の覚園寺)。 
翌年の八幡宮の儀式にて義時は、さすがに執権が欠席するわけにはいか 
んと思い出席していたが、お告げを思い出して、体調不良ということで 
他の人に役目をパスして退席する。その直後、公暁が源実朝と義時に 
役目をパスされた人を暗殺という事件が発生。義時はあやうく難を逃れた。 
以降、覚園時は歴代北条家によって保護されていく。 



209:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 15:01:08 ID:lEL3lD1z0
>>205 
どうも暗殺があることを知っていたから 
お告げのせいにして休んだ気がする。 
謀殺のうわさがある事件だし 



210:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 15:33:24 ID:O6I0edg70
子供の頃読んだ「いるいないのひみつ」っていう学研マンガに日本の占い師で 
伊藤博文暗殺や大逆事件のことを予言したという人が載ってた。 
あろうことか最後には自分の死期まで言い当てたらしい。 



214:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 16:22:50 ID:COI7gAkj0
>>210 高島嘉衛門の事だね。予言者で実業家。横浜に日本初の瓦斯灯を作ったり 
した。横浜の高島町は、彼の屋敷があった所で顕彰碑は今もあるよ。高島易断は彼 
の名声を利用した代物で、嘉衛門とは無関係。 



211:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 15:41:16 ID:O6I0edg70
そういえば源頼光+四天王の鬼退治というのがあるけども、鬼は実は○○のことっていう説は聞かないから 
昔話の域を出ないのかな? 



218:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 16:41:09 ID:2G9JtQ350
>>211 
鬼の正体は朝廷に反抗する部族とも単なる野党とも言われています。 
源頼光を襲った土グモは山の佐伯、野の佐伯と呼ばれていた先住民族とも言われていて 
京都には源頼光の四天王が対峙した土グモ塚があります。 
四天王の1人、渡辺綱の子孫は現在京都で酒蔵を経営しています。 
以前住んでいた旧家屋の天井には茨城童子が蹴破って逃げていった穴が 
保存してあったそうですよ。 



213:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 16:20:40 ID:yzNMvvgm0
名前忘れたけど、明治だか対象だかの女超能力者が気になる。 
警察の前でも水を移したりとかやったの。 
あれってどれくらい信憑性あるんだろ? 



255:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 00:32:05 ID:KpUUlZVY0
>>213 
三船千鶴子の千里眼事件 
この名前でググってみれば詳細がわかる。 

あとは福来友吉博士の事も 
この事件がその後の日本におけるオカルト研究に 
与えた影響は計りしれない。もちろん悪い意味で。 

ちなみに三船千鶴子は「リング」の貞子の間接的な 
モデル。この報われなさが生む怨念。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/千里眼事件



257:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 00:45:20 ID:gaMHpCTR0
>>255 
長南年恵の方では? 



259:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 01:07:44 ID:CILHOj7E0
>>257 
俺もそっちで記憶してる。 
参照ページが多い割りに当時の具体的な情景が 
見えてこないのが、少し残念 



237:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 21:43:29 ID:Br4KgyQ10
広島だか長崎だか忘れたが。 
原爆が落とされる前に、「新型の爆弾が落ちるぞ!早く逃げろ!」ってビラ配ってた人がいたって話を聞いた事がある 
ビラ



238:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 21:45:33 ID:t/1rv0af0
>>237 
飛行機から撒かれたんじゃなかったっけ? 



494:本当にあった怖い名無し:2007/05/08(火) 04:13:05 ID:VTJAIkR80
>>237 
そういう戦災予知話は戦争中は日本中にあったらしいよ。 
子供とか病人に多かったんだとか。 

「牛の首」の目撃談が多発したのも第二次大戦中だったね。 
空襲の焼け跡を兵隊が歩いてたら頭は牛、体は少女(単に「女」の場合もあり)の 
異形が嗚咽しながらフラフラ歩いていたとか、 
「牛の首」は凶兆を予知する能力を持つとされている事から 
政治的な重要人物の屋敷を転々をさせられていたとか色々。 



241:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 22:19:47 ID:smNncyAW0
戦争で思い出した。 
終戦を告げる玉音放送の直前だったか、原爆が落とされた直後だったか、 
ラジオで、奇妙な放送(実況放送?)が流れたって聞いた事あるんだけど、詳細知ってる人居ますか? 
何処で聞いたのか、うろ覚えでスマソ。 



246:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 23:00:50 ID:aliwdMDmO
>>241 
確か名古屋。玉音放送直前に謎の放送が流れた。 
内容は諸説あるが、一番オカルトなのが、サイパンで玉砕した部隊の兵士が苦しげな声で日本の敗北を告げたという。 

ちなみに米軍が、玉音放送の時間を察知して、対日工作の一環として流したラジオ放送の話に尾鰭がついたというオチが有力。 
つまらなくてスマソ。 



248:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 23:17:02 ID:1Gsz79H70
やっぱ崇徳天皇が最強じゃまいか? 
自分で書き写した経典(すごい大作らしい)を都の寺に納めてくれと流刑先から 
送ったのを、呪詛が篭ってると疑われて返却されたのにキレて、自分の血でそれに 
呪いの言葉を書いて、都方面の海に沈め 
「王を民となし、民を王となさん」 
その後四半世紀かそこらのうちに、源氏が平家を滅ぼし、安徳天皇水死、上皇をも 
島流しにした。まさに民であった武士が、天皇上皇を処刑するという状況になった 
訳で、これは素直にすごいなーと思った。 
妖怪の存在が日本で根強いのは何故?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4638947.html



252:本当にあった怖い名無し:2007/04/29(日) 23:41:33 ID:COI7gAkj0
称徳帝と言えば、埋葬時の葬列の時に山の向こうからでかい鬼が見ていたって 
話があるね。(出典忘れたけど) 張り形の話も奥に入ってとれなくなった時に 
小手尼って人が取ろうとしたのを、藤原百川が「妖狐なり」って斬っちゃったり 
とか。自然死では無かったような印象を受けるよ。 



262:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 01:59:48 ID:vcZ1YF9r0
>>252 
鬼が葬列を見てたっつーのは、斉明女帝の時だったかと。 
白村江の戦の直前だったんだよね。 
斉明女帝も結構謎な人物だなあと。 
33歳で中大兄皇子を産んで、その後に大海人皇子,間人皇女を産んだとなると 
当時としてはかなりの高齢出産になるんでないか? 
まあ先に他の相手との間に産んでいた漢皇子とやらが大海人皇子とかいう説も 
あったりと、実にミステリーな時代ではあるんだけど。 



310:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 11:46:21 ID:evQv7N68O
>>252 
その大きな鬼って言うのは、「大きな笠を被った鬼」のことらしい。 
大きな笠→雷雲のことで山の上に雷雲があったと言う 
意味ではないかと言われてる。 
あと当時の「鬼」とは今と違い、人間で無い者や外国人、 
反体制派の総称だったらしい。 
この人間でない者は自然現象とかの意味もある。 
それでこの記述は大きな雷雲になった斉明天皇が自分の葬列を見ていた 
という記述との説があるって、先週大学の授業で言ってたよ 



256:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 00:37:53 ID:dBKnIU0f0
9代将軍家重が実は女だったという説はどう? 
先日帰省したとき弟が言ってて初耳だった。 
おそらくテレビで仕入れた情報なんだろうけど興味アリ。 
骨格を調べたら女そのものだったとか、将軍になってからトイレが 
多く作られたとか。 
でも家重って身障気味だったっけ?トイレが多く作られたってのは 
そういう点から説明できそうだけども、骨格が女だったてのは…? 



258:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 00:49:18 ID:Vbp1Lxar0
>>256 
初耳だな。確かに障害を持っており、言葉を聞き分けられたのは大岡忠光だけだったというけど。 
もし仮に女性だったら骨格云々以前に、優秀な弟がいたのだから将軍にはなっていないと思う。 



260:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 01:08:45 ID:VVye8DTo0
>警察の前でも水を移したりとかやったの 
これは長南年恵の方で間違いない 
三船千鶴子は透視 

まぁどちらも明治期の日本で実際に起きた、しかも公式な記録が 
現存するというオカルト的に稀有な事件ですな 



263:本当にあった怖い名無し:2007/04/30(月) 05:39:52 ID:yYm9+Tbl0
>>260 
東京帝国大学教授の福来友吉が発掘した人は、三船千鶴子の他に 
長尾郁子、高橋貞子、三田光一、と信憑性の高い実験結果が残ってる 
人が何人もいるみたいね。名前が貞子さんの方もちゃんといたみたい。 

念写を行う人はその後も次々にマスコミに登場してくるんだけど、この 
頃以来ほぼとだえてしまったのがアポーツ(物品の引き寄せ)能力者 
だよね。 

裁判所で衆人環視の中、封じられた一升瓶に次から次へと水を満た 
して見せたと言うのは、今だったらもっと理科学的な分析ができるのに 
残念な話。トリックがあったとしても、完全密閉された瓶の中の空気を 
消去しないと物理的に水は満たせない。マリック系の手品でもこれは 
見たことないぽい。記録から見て、そもそも仕掛けをすることはほぼ 
不可能な状況だったわけだけど、手品としても画期的なんでは・・・。 
もし本物の能力だったなら、アポーツと言うよりも離れた場所の二つの 
物体、ないしは環境を入れ替えて見せていたと思われ、興味深い。 



315:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 15:15:06 ID:bOMCVY/mO
難攻不落の熊本城が何故か西南の役前後、内部からと思われる不審火で炎上 

しかし、昭和の天才相場師のじっちゃんの泡銭で再建(`・ω・´)ゞ 



329:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 16:58:44 ID:k9X5QjOZ0
>>315 
城を再建するほどの泡銭・・・? 



330:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 17:02:54 ID:bOMCVY/mO
>>329奥さんと二人暮らしの高齢な相場師が大勝ちして、数十億寄付したらすい。(`・ω・´)ゞ 



332:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 17:26:57 ID:OFD8WAn50
調べてみた。S35年の再建で総建築費の三分の一(当時の金額で 
5000万円)を寄付したっていう、松崎吉次郎さんて人? 
なんか、芋焼酎の創始者にもなってるけどw 



357:本当にあった怖い名無し:2007/05/02(水) 06:56:40 ID:vEJ4paM40
東洲斎写楽 実在してないって本当? 



359:本当にあった怖い名無し:2007/05/02(水) 07:42:12 ID:3MeVLmp10
>>357 
個人としては存在してなくて実は複数の作家の 
合作だったとかいう説は聞いた事ある 



375:本当にあった怖い名無し:2007/05/02(水) 22:15:10 ID:EC1scstpO
明智光秀って金池院崇伝じゃない? 



379:名無し募集中。。。:2007/05/02(水) 22:36:40 ID:PnCPwU3h0
明智光秀は南光坊天海説 
明智光秀の娘婿、明智秀満こそが南光坊天海説 

明智平の話とか、家康が初めて会ったはずの天海と 
やけに親しげに二人きりで話していたとか・・・ 
何かありそうではある。 



384:本当にあった怖い名無し:2007/05/03(木) 00:13:47 ID:tt+jl4NN0
和宮様には左手がなかったとか 
彼女の遺骨は実は彼女の者じゃなかったとか… 

上に家重の女性説が出ていましたが 
彼の遺骨は正座をした状態で葬られていたそうです 
これは御台所や側室の葬られ方だったらしく 
また吃音生涯というのも声を隠すためと考えれば納得ができます 

以上「フェティシズム の 世界史」よりw 
日本史の奇妙な話を集めた本も持ってたのに実家だから見れないよ~ 



388:本当にあった怖い名無し:2007/05/03(木) 05:31:48 ID:ndefimDw0
>>384 
ドラマにもなった「和宮様御留」か。 

家重は遺骨から見たら、かなり整った顔立ちをしていたらしいね。 
しかし脳性マヒなどによる歯の摩滅などが見られたとか。 



619:本当にあった怖い名無し:2007/05/12(土) 22:26:02 ID:VvPcQwil0
熊本城の話。 

熊本城は別名「銀杏城」と言われているが 
それは天守閣近くの大銀杏に由来する。 
これは加藤清正が築城する時に植えたものと伝えられている。 
清正は亡くなる時に 
「大銀杏が天守閣と同じ高さになる時、何か異変が起きるであろう」と予言した。 
西南戦争のときに天守閣が焼失したが 
その時銀杏は天守閣と同じ高さになっていた。 
その木も西南戦争で燃え、現在の銀杏は芽吹いた脇芽が成長したもの 



896:本当にあった怖い名無し:2007/05/20(日) 15:46:59 ID:vq23KeqNO
前の方に、豊臣秀頼が大坂城から真田幸村に連れられて脱出し、鹿児島に逃亡した歌があったけど、 
この続きらしい話しがあって、この秀頼の子孫が、あの島原の乱の天草四郎時貞って話。 
島原の乱は、ただの隠れキリシタンの反乱ではなく、豊臣家再興をかけた戦だったのかもしれない。 




900:本当にあった怖い名無し:2007/05/20(日) 16:31:30 ID:RR3br2QNO
昔テレビの時空警察でやってたな。 



905:本当にあった怖い名無し:2007/05/20(日) 22:09:09 ID:V4mJ2xlC0
徳川家康についてもう一つ。 
家康が三河から遠州へ攻めて来た時、 
今川義元に恩義を感じた遠州の三ケ日、細江、引佐あたりの住民は 
武士はもとより農民、女、子供まで武装をし砦を造って家康勢と戦うも 
多勢に無勢で一帯の住人は全滅。大久保彦左衛門の三河物語には、 
女、子供、老人も、全員ナマス斬りにし、とある。 
殺した住民の首を並べた場所を「獄門畷」といい現在もある。 
このあたりは戦いの後、数年間は無人の地となってしまうぐらいの惨殺があった。 
遠州地方や三河地方の社会科の授業では、 
この戦いについては「家康が遠州に進軍し浜松城を居城にした」で終わり。 
あとは、信玄と三方原の戦いや長篠の戦いを教える。 
獄門畷の話を詳しくすると、三河と遠州が赤穂と吉良、会津と薩長のように 
なるからか。 

伊賀越えの時、穴山を惨殺して財産を略奪したのも家康だっていうしね。 



915:本当にあった怖い名無し:2007/05/21(月) 16:40:53 ID:1Ap3EyLIO
>>905 
家康に関して浜松のとある村に伝わる伝承を 

三方が原合戦で全軍潰走し単騎脱出した家康は恐怖の余り脱糞しながら命からがら浜松城に帰還した事になってる。 
しかし、ここでは単騎脱出をした家康を村の庄屋が藁の下に一晩匿い、翌日には農民の姿をさせて送り届けたらしい。 
恩義に感じた家康は村に庄屋の名前を付け、帰農していた庄屋の息子を旗本に取り立てた、というもの。(事の次第は箝口令が敷かれ、公然の秘密となったが) 

実際、家康の浜松生還後も城門が開け放たれていた事、篝火を夜通し燈した事を穿った見方をすれば、巷説言われる家康は影武者で 
行方不明の家康を迎えるために城門を閉める事が出来ず、篝火を燈さざるをえなかったと見ることも出来る。(公式には残兵収容の為) 

話は、その庄屋から18代下った祖父から聞いた話し。 
まぁ、このスレには合ってるかと。 



925:本当にあった怖い名無し:2007/05/22(火) 22:29:51 ID:3evoXSU50
>>915 
その時、篝火を焚いて 
太鼓をドンドン叩いたのが猛将・酒井忠次。 
酒井の太鼓として磐田市見付天神の拝殿に安置されている。 
拝殿から覗くと見えるよ。 



923:本当にあった怖い名無し:2007/05/22(火) 22:21:38 ID:U8UEB/85O
トンボ切りって子孫の方が兜と一緒に保存してないか? 



927:本当にあった怖い名無し:2007/05/23(水) 00:21:25 ID:zyebCEIjO
>>923 
蜻蛉切は敗戦時の貧困の為本多家が売却しました。 
最後の一瞬まで迷ったそうですが「家康に過ぎたるものが二つ有り。唐の兜と本多平八。」 
の信玄の言葉を優先したそうです。 
現所持者の方に現物を見せてもらいましたが、小振りな穂先ながら実に鋭かったのが印象的でした。 
因みに、銘は村正です。 



937:本当にあった怖い名無し:2007/05/23(水) 12:36:21 ID:G1G3a3mS0
>>927 
どんぐらいで売れたんだろ。 

っていうか村正かよw 
徳川家因縁の妖刀じゃないの。 



940:本当にあった怖い名無し:2007/05/23(水) 18:05:27 ID:zyebCEIjO
>>937 
村正自体は妖刀でもなんでもないよ。 
伊勢で製造されてたんであの辺りではポピュラーな刀。 
逆に所持者が多いから事件に関わる事が多かっただけ。 

発砲事件の犯人を捕まえてみたらトカレフを持ってたからってトカレフを妖銃って言うようなもの。 

ホントに妖刀として扱われたなら打ち捨てられるか鍋釜にされてる。 
しかし、家康の所持刀に村正は含まれてるし、大名からも貴ばれてるわけで。。。 

政宗だけはシャレで「正宗」だったかな? 



936:本当にあった怖い名無し:2007/05/23(水) 03:56:08 ID:LQb6N2vD0
最近、wikiペで「蝉丸」調べたら詳細不明の人物だったんだな 
せみまる
『小倉百人一首』にその歌が収録されていることで知られているが、その人物像は不詳。宇多天皇の皇子敦実親王の雑色、醍醐天皇の第四皇子などと諸伝があり、後に皇室の御物となった琵琶の名器・無名を愛用していたと伝えられる。また、仁明天皇の時代の人という説もある。盲目の琵琶法師だったという説がある一方で、盲人ではなく単に乞食であるとする伝承もある。生没年は不詳であるが、旧暦5月24日およびグレゴリオ暦の6月24日(月遅れ)が「蝉丸忌」とされている。
http://ja.wikipedia.org/wiki/蝉丸



転載元:http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/occult/1177255385/ 

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4668473.html引用

1:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 00:23:05 ID:HpKtBk0m0
滝沢馬琴の「兎園小説」その他に載っている「うつろ舟」の話。 
高千穂峰の天の逆鉾。 
三世紀頃に消えた銅鐸の謎。 
聖徳太子の「日本国未来記」。 
南朝子孫のゆかりの寺に祀られる、「草薙剣」。 
源頼朝の死の謎。 
大坂「南宗寺」に伝わる徳川家康討ち死に説(首塚があるという)。 

眉唾ものの伝説から、今だ謎である事まで日本史においては様々な 
奇談が伝わります。 
上記に挙げた例はほんの一部でまだまだ奇談はあるでしょう。 
私の知識は古く、すでに解明されたこともあるでしょう。 
そんな様々な出来事を列記していき、意見を出し合い、まとめていきませんか? 
俺が異世界に行った話をする
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4226604.html
オカルト


6:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 00:37:24 ID:jacZvsBR0
兄である天智天皇よりも、弟である天武天皇のほうが年上である不思議。 
持統天皇が異常なまでに草壁の皇子への皇位継承に固執した理由。 
神武天皇って実在したの?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4528808.html



8:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 01:07:45 ID:HpKtBk0m0
>>6 
そこで皇統が一瞬途切れたのを、持統天皇が戻したという説がありましたね。 
だから持統というおくりなが送られたといいますね。 



10:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 01:24:50 ID:kFbB8KkKO
島津家久の死因 
島津家久は豊臣秀長に殺されたのか
http://ume.sakura.ne.jp/~edo/iehisa.html



11:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 01:30:04 ID:HpKtBk0m0
>>10 
秀長との単独講和が原因で島津家側が暗殺? 
島津4兄弟は一枚岩ではなかった? 



12:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 01:55:09 ID:slrt8FOx0
義経=ジンギスカン説とかもこのスレ? 
あと西郷ロシア亡命説も。 



15:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 03:05:47 ID:HpKtBk0m0
>>12 
日本史板では相手にしない説(荒唐無稽である)こそオカルト板で 
検証すべきではないでしょうか? 

こういった英雄生存説は、大真面目に検証していくのも重要ですが、 
その説が唱えられた根拠(初出の文献)を辿り、その時代背景等を 
探るだけでも大きな成果といえると思います。 

確かこの2点は初出の文献等の検証はなされていますよね? 

義経=ジンギスカン説は、吾妻鏡に、平泉残党が蜂起した際、義経がその先頭に 
たっているといういうことで鎌倉方が驚愕したという話が載っている 
らしいですね(確認していませんが)。 



17:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 03:39:20 ID:V0JNTPp1O
日本最初の謎は天孫降臨だと思う。 
アマテラスから国造りの命を受けた孫のニニギが高千穂に降臨。 
何故、出雲ではなく高千穂? 
それまでの話の流れからするとかなり不自然。 
しかもニニギは国造りしないし。 
結局、国造りをしたのは彼のひ孫の神武天皇。 
それも出雲ではなく飛鳥で・・・ 

出雲カワイソス 



22:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 05:03:13 ID:HpKtBk0m0
>>17 
出雲の最大の謎は、国引きをしたのが古事記では「大国主命」で 
出雲国風土記では八束水臣津野命である点が不可解であると思います。 



20:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 04:21:18 ID:w4m7Gu9XO
某ゲームで佐々木小次郎は実在しなかった可能性があるって説明してたんだけどそれってマジ?



21:本当にあった怖い名無し:2007/04/23(月) 05:02:21 ID:Fy4fsEUOO
>>20本当だよ。存在しなかったみたいだね。 



29:本当にあった怖い名無し:2007/04/24(火) 11:57:49 ID:wGzxzFFB0
龍馬は実は白痴だったんじゃないかって話がある 
言い伝えやらなんやらを調査した結果、その傾向がある様な事を言っていた 
実際に、人の話を結構聞かなかったり、急に癇癪起こしたりと色々あったらしい 
これは他の英雄的な人物にも言えることだそうな(義経や信長など 
天才となんとかは紙一重・・・てのは、本当のことなのかもね 
まぁ結果残してるから天才なのだろうと思う 



30:本当にあった怖い名無し:2007/04/24(火) 12:07:10 ID:uxg6cyOu0
>>29 
アスペルガー障害かな? 



34:本当にあった怖い名無し:2007/04/24(火) 12:29:28 ID:cJBA766RO
霧に紛れてキスカ島撤退!だな 
霧?により、アメリカ艦隊のレーダーが錯乱! 
レーダーに映る霧の彼方の日本艦隊(レーダーのエラー)に向けて長々と砲撃、 
弾を撃ち尽くしたアメリカ艦隊は、補給のため、海域を離脱!。 
霧の中を進む日本艦隊は、その事に気付かないが、木村提督 
は、「今だ!」と艦隊をキスカ湾に突入させる。 
丁度、キスカ湾の霧が晴れて、撤退成功。 
撤退した直後に霧がキスカ湾を包むと言う、摩訶不思議な出来事でしたな。 
軍事的珍事件・怪事件
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4217795.html



37:本当にあった怖い名無し:2007/04/24(火) 22:03:43 ID:vRilRmVn0
天の逆鋒 
天

霧島高千穂峰の山頂に突き刺さる鋒。 
天孫・ニニギノミコトが降臨した際突き刺したという。 
余談であるが、坂本竜馬夫妻も新婚旅行で訪れている。 

銅鐸 
胴

用途不明の青銅器。 
3世紀に突如作られなくなる。 
その謎については、wikipediaを参照されたし。 
http://ja.wikipedia.org/wiki/銅鐸 



38:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 05:36:01 ID:P+lzRxTT0
聖徳太子がUFO見たって本当かなあ? 



40:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 11:25:06 ID:JdZH44KR0
>>38 
聖徳太子が実在したって本当かなあ? 



41:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 11:37:42 ID:2iLoRRcOO
聖徳太子で思い出した 
東大寺に聖徳太子が封印した井戸?があるそうで、 
仏教が滅びた時に封印を解くようにと伝えられてるそうだ。 
詳しい話知らないですか? 
昔、本で読んだんだがその時は写真も載ってた 



42:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 11:44:56 ID:wmEOgEi/0
聖徳太子は信仰上の名称だろうけれど 
厩戸王という人物としては存在しただろうな 
ただ聖徳太子という名称そのものを教科書から抹消しようとするのは 
歴史の改変や捏造が得意な一部勢力の暗躍が裏側に見え隠れする 



45:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 12:13:32 ID:8MBeirujO
勝てる見込みが薄い日露戦争に消極的だった明治天皇が 
ある日突然「この戦争には神様が兵を貸して下さる」って言って 
GOサインが出たってのを何かで読んだ事がある。 



47:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 12:55:02 ID:C+7c1AHUO
>>45 
明治天皇は「外国軍隊の応援をとりつけた!」と叫びたかったのでしょう。 
ロシアの極東の覇権拡大を阻止するために、日本帝国海軍船にはロシアに敵対する外国の士官が、戦術アドバイサーとして乗り込んでいたのです。 
「観戦士官」?と記録にある。 
イギリスとアルゼンチンから派遣されていました。 
くわしくは知りませんが、当時の国際法で観戦士官?が外国の戦闘を指導するのは禁止 
されていたらしいです。 
が、彼らの違反行為の戦闘参加によりロシア艦隊を撃破できたのです。 
有名なT字戦法はイギリス海軍の古典的基本戦術なのです。 



48:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 13:04:33 ID:8MBeirujO
>>47 
なるほど、そういう事か。勉強になるなあ。 

つか、オカルトでも何でもなかったんだね。スマン 
何でもそっちに結び付けちゃいかんな。 



53:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 13:51:09 ID:3DHw8dlpO
江戸城の庭に肉人が現れて、家康も見た件を詳しく。 
SekienNuppeppo
文化時代の随筆『一宵話』に、ぬっぺふほふに似たものが現れた話がある[2]。

1609年(慶長14年)、駿府城の中庭に、肉塊のような者が現れた。形は小児のようで、手はあるが指はなく、肉人とでもいうべきものだった。警戒の厳しい城内に入り込む者は妖怪の類であろうと思われたが、捕まえようにもすばやく動いて捕まえられない。当時の駿府城に住んでいた徳川家康が、その者を外へ追い出すよう命じたため、家来たちは捕獲をあきらめて城から山のほうへと追い出した。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ぬっぺふほふ



60:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 20:12:03 ID:Lo/Zcdva0
>>53 
一宵話ですね。 
確かのっぺらぼうがいつのまにか城内に現われゆらゆら天を指しているという話。 
気味が悪いので家臣が追い出したが、後日「それは貴重な万能薬だったのに」 
と言われたとかなんとか。 

あと、姫路城と猪苗代城にそれぞれ怪異譚があるんだけど 
泉鏡花の本とか読むとどうも姉妹らしいんだよね。 
姉妹設定は創作なのかなあ? 



129:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 17:32:35 ID:ZtStBciDO
>>60 
家臣に素直に追い出されてしまう肉人w 
萌え。 



880:本当にあった怖い名無し:2007/05/20(日) 07:40:09 ID:KMP65Qty0
>>60 
便乗でレス 
江戸期に書かれた「老媼茶話」に 
猪苗代城(別名亀ヶ城)の城代の前に不思議な少女が現れ、 
「姫路のおさかべ姫と、猪苗代の亀姫を知らぬのか」と亀姫への挨拶を促した 
という話がある。 
姉妹とはっきり言及されてはいないけど、何か関係があったのかもね。 



63:本当にあった怖い名無し:2007/04/25(水) 20:36:57 ID:+9VokLUc0
秀吉の時代、東北の某地方には目が青く金髪で色が白く背の高い人間が住む 
地方があると資料に載っていますな。 
もう一つは、秀吉と接見したキリスト教の使節団が残した日記には 
秀吉の右手か左手の指の数が6本あると。秀吉は多指症だったのか。 



72:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 01:51:20 ID:fBWNDzrJ0
>>63 
『モナリザは高脂血症だった』という本で、秀吉の多指について 
論ぜられています。 
曰く、排他的な地域で近親婚が盛んな場所には起こりやすい障害 
だったと。 
東洋人に多く、特に秀吉が生まれた地域は排他的だったとか。 

竜馬アスペ説も聴いた事あります。 
何でも羽織の紐をくっちゃらくっちゃら噛み、振り回すので唾が 
周りに飛び散り、えらく迷惑だったそうですね。 



105:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 23:34:30 ID:FRvJWm+V0
>>72 
秋田県を中心とする東北の一部に、明らかに白人との混血が多く繁栄してることも知られています
(元々、欧米人にしか無かったであろう、JCウイルス-ヒト・ポリオーマウイルス(DNAに感染するウイルス)の一種の感染が有ること) 
また、メラニン色素の割合で言っても、”秋田美人”に喩えられる秋田の人の白人のような肌の白さ・色白は、東北の中でも群を抜く結果となっています 
(ただ、それでも立派な日本人にしか見えない所が凄いね)。 
DNAと遺跡の推測によると、縄文期の交易の時代に、白人の遺伝子を運んで来た者が、東北の一部に住み着いて、秋田県を中心として白人の子孫が繁栄したと、考えられています。 



75:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 02:48:34 ID:r7zK9Rd9O
をのこ草子はどうだ 

いつ書かれたかもわからぬかなり昔の予言書?のようなもの 
かなり克明に現代の社会の様を書き綴っているそうな 



78:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 03:30:11 ID:GO4Ebx5HO
なんだこの良スレは。とりあえず>>75めっちゃ面白そう。どこら辺をどう予言してるんだ? 



79:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 03:56:14 ID:i2bRJqDG0
>>78 
「をのこ草子(をのこ草紙)」という文書を知っていますか? 
http://lonehog.gooside.com/YOGEN1.htm 

江戸時代にかかれた読み物で、現代でいえば小説みたいなものなのですが、 
作者が不明で、成立年代もはっきりしません。 
書いてある内容が驚くほど現代日本の世相を言い当てているため、最近注目を浴びている文書です。 

「今より5代250年を経て、世の様変わり果てなむ。切支丹の法いよいよ盛んになりて、 
空を飛ぶ人も現はれ、地をくぐる人も出るべし。風雲をかりて雷電を益するものもあらむ。 
死したるを起こす術もあるべし。」 
「よろず南蛮の風を学び、忠孝節義はもとより、仁も義も軽んぜらるべし。」 
「さるままに人の心も漸く悪となりて、恐ろしき世の相を見つべし。妻は夫に従 
はず、男は髪長く色白く痩せ細りて、戦の場になぞ立つこと難きにいたらむ。 
女は髪短く色赤黒く袖無き着物を着、淫に狂いて父母をも夫をも、その子をも顧みぬ者も多からむ。」 
「かくていよいよ衰えぬるそのはてに、地水火風空の大いなる災い起こりて、 
世の人十が五まで亡び異国の軍さへ攻め来るべし。」 
---------------------------------------------------------------------------------  
明治以降、西洋近代文明を受け入れた日本の社会は、まさにこの通りとなりました。 
特に、”死したるを起こす術”が近々の臓器移植に関するものと言うならば、まさに現 
代社会の風景を現している下りであるといえなくはないでしょうか 
日本社会は隅々まで西洋文明(南蛮)から学びとった結果、 
物質文明や利益追求主義がいつのまにやら正義となってしまい。 
日本人としての心が失われ、利己主義が蔓延した世の中になりました。 
単純に書いてあることを鵜呑みにするならば、「日本の国力(経済)はます 
ます弱まり不況を克服できず、さらに追い打ちをかけるごとく、天変地異の 
大災害(局所的な地震などではない)で、人口の約半分が死滅する。 
大混乱のうちに治安維持を名目に、あるいはあからさまな侵略目的で、 
外国軍が進駐し日本を支配下に置こうとする」と言うことになるのです 



80:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 10:47:44 ID:+IwZoNB+0
>>79 
おもしろいね。 
なんだかワクワクしてくる 



77:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 03:03:24 ID:3E0maN7yO
類稀なる良スレだ 

・太平洋戦争の時に草薙の剣(アメノムラクモ)を使った呪咀でルーズベルト死亡 
・遮光器型土偶の機能的デザインをNASAが検討 

・「石神」と付く地名とミシャグジ信仰、道祖神の接点 

ここらへんにも興味ある。 



83:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 11:22:53 ID:eKOnwi0yO
日露戦争時、ロシア兵の捕虜が『白い服を着た日本兵はいくら撃っても倒れなかった』と口々にいってたが、当時白い服を着た日本兵などいなかった。 
遠野物語に載ってる話 



321:本当にあった怖い名無し:2007/05/01(火) 16:01:06 ID:EsGla3sF0
>>83 
自分が戦争話集めた本で読んだのは赤い服をきた日本兵の話だった 
たしか狸の化けた姿といわれてたような 
日露のころは神様も戦争に行ってた話があるのが不思議 



87:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 14:18:46 ID:hsOnwgyo0
散々ガイシュツ上に、スレ違いだったら申し訳ないけど、三種の神器だな。 
壇ノ浦に沈んで、今祀られてるのはレプリカだとか、実は今祀られているのが本物だとか・・。 
諸説あるけど、実際はどうなんだろう? 

あと、義経関係は不思議と言うか、オカルトっぽい話が結構ある気がする。 
犬岩とか、鬼一法眼とか・・まぁこの辺は、あくまで伝説に過ぎないんかもしれんけど。 



92:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 17:50:10 ID:zXuGpv8r0
花のようなる秀頼様を~鬼のようなる真田がつれて~退きも退いたよ鹿児島へ~退きも退いたよ鹿児島へ~ 



175:本当にあった怖い名無し:2007/04/28(土) 23:04:06 ID:ab3bSShP0
>>92 
それって豊臣氏生存説うんぬんの歌じゃなかったっけ?? 
大阪夏の陣で敗北まじかに島津軍が密に船を用意していて豊臣秀頼と真田幸村、 
その息子、真田大助、木村重成などと鹿児島へ脱出を図ったって奴だったような。。 

確か鹿児島に秀頼や幸村の墓が残っていたり、幸村と大助の大ゲンカの話あったりなかったり。 
幸村の字が元で地名にもなっていたハズ。 



669:本当にあった怖い名無し:2007/05/13(日) 15:23:32 ID:tkmBkDxR0
>>175 
帝國陸軍参謀本部(明治政府)が編集した軍学校向けの参考書 
には、「鹿児島には豊臣姓の人が多数居る」と、はっきり書いてる。 
(この本は今でも徳間文庫?かなんかで発行されてる) 

但し、謙信を軍神と崇める一方、信長を鬼畜と評したりと、 
かなり政府の偏見に満ち溢れてる。 
(信さんは叡山を焼き討ちにしたため鬼畜扱い) 

明治政府=打倒徳川なので、松平(徳川)を悪く書き、 
豊臣を好く書く傾向なので、信用性は薄いが・・・・ 



102:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 22:23:58 ID:Tcwj0jQHO
あまりきかないんだけど 
欧米のフーファイターズ見たいな戦場伝説の日本版とか無いのかな? 

例えば太平洋戦争末期にサイパンでアメリカ 
と日本軍の交戦中に目撃された巨大生物とか 

ミッドウェー海戦後に、戦艦大和の前をよこぎった、国籍不明で船体に 
ひらがならしき文字が書かれてある巡洋艦の話とか。 

ちなみに上記二つは例えだからな。 
実際にそんな目撃例はないぞ 
海外の都市伝説ってどんなのがあるの?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4208513.html



115:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 03:58:14 ID:MSg47DDLO
>>109フーファイター伝説は日本もある。あとミッドウェーの下りはジパングの事だと思うが同作の中のキスカ撤退作戦でみらいと米艦隊の戦闘があるがあれは実際にあった戦闘だ。 



119:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 08:19:58 ID:jaU3hyNW0
>>102 
日本の爆撃機の後ろをUFOらしき物体が飛んでいる写真を見たことがある 
誰か持ってないかな 

あと東南アジアに進駐していた日本軍が洞窟に潜み夜な夜な捕虜を 
襲って食べていた大蛇を手榴弾で退治したって話もどっかで見た 



120:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 08:33:20 ID:2uqkkzIW0
>>119のヤツ見つけました 
20140430215858_120_1


ここに色々ありましたw 
http://www.asyura2.com/2003/bd21/msg/122.html 

個人的には果心居士の話が好きだなぁ 
謎の多い歴史上の人物っている?
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4524911.html



103:本当にあった怖い名無し:2007/04/26(木) 22:43:50 ID:xVsOZ4gr0
現代民話考に、戦場に行った狸(の神様)の話が載ってたね。夜、道に迷った 
兵隊が神社の紋の入った提灯に着いていったら本部に帰れた話とか。フーファイター 
っぽい話は、日本軍では・・聞いた事ないなぁ。 



134:本当にあった怖い名無し:2007/04/27(金) 19:52:00 ID:BYLJZ7ZV0
>>103 
狸繋がりで… 
建長寺の狸和尚の話が好き。 

建長寺に住む古だぬきが山門の建替えの話を聞き、 
世話になったお礼にと坊主に化けて自ら勧進の旅に出る。 
中仙道~板橋、練馬、青梅街道と進むうちに 
あの坊主は怪しいとかなり評判になり、ある駕篭かきが 
イヌをけしかけ殺してしまう。 
その狸和尚が勧進した30両の金子が建長寺に届けられ、建てられたのが今の山門。 




http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4766979.html引用

Pacific_war_tile_picture

6: 膝靭帯固め(芋)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:09:29.17 ID:EZE7Uh1C0.net
人の数だけ正義があって 
正義の数だけ戦争がある 
一側面からみたらそれもまた真実だろうさ 



13: ボマイェ(家)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:11:30.53 ID:eBQ93/Yx0.net
遅くなったとはいえ1944年の時点で大東亜会議を開いたのは正解 
あれのおかげで少し大義名分を得た 



14: キャプチュード(庭)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:12:27.98 ID:Vyl5kIOf0.net
中国が日本に攻め込んできてこれはアメリカからアジアを解放する戦争だって言われてオマエら納得するのかっちゅう話 



565: フォーク攻撃(WiMAX)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 22:37:09.99 ID:vxHXG3JJ0.net
>>14 
ぐうの音も出ません 



17: パイルドライバー(北海道)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:13:13.17 ID:bwu2/d2t0.net
自衛なのは確実、資源もとめられたし 
アジア解放は言い訳みたいなもんだ大義てやつ 
中国が共産化して 
戦う相手間違えたwwwBy連合国 

アホな戦争だったんだよ、お互い敵を間違えて最悪な方向にいった 
だけの戦争w 



20: ドラゴンスクリュー(愛知県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:13:41.35 ID:uZij9Okl0.net
ヨーロッパ人が、300年にわたって、アジアで、アジア人を家畜同然に扱って金もうけした。 
 ↓ 
日本がこれを追い払おうとした。 
 ↓ 
欧米が中国の後ろから武器や物資を運んでこれに抵抗。 
 ↓ 
これを日本が撃退。・・・←中国人はこれを日本の侵略だ、とか言ってる。 
 ↓ 
裏に隠れてる欧米に対して、日本軍がボコりに出た。 
 ↓ 
アメリカ以外のすべてを、日本が駆逐した。 
 ↓ 
アメリカには負けた。 
 ↓ 
なぜか日本が全世界に負けてアジアに迷惑をかけたことにされてる。 
 ↓ 
戦後70年以上も、日本の学校では「日本が悪い」と教育されてきた。 
 ↓ 
最近、これはおかしい。真実を見よう、という風潮になってきた。 



856: セントーン(SB-iPhone)@\(^o^)/:2014/10/27(月) 00:21:23.41 ID:B+JKRsFt0.net
>>20 
意識の数だけの世界がある 
直接見た人も同時に全部の出来事を見ることは出来ないからな 
何が真実かは判りにくいな 



21: フランケンシュタイナー(山形県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:14:27.97 ID:bnoXjlJa0.net
日本はいつだって自衛のために戦ってきたよ 
中国進出だって西側を抑えるための当然の行動だったし 
黙ってたらロシアやアメリカに否応なく日本は潰されてた 



43: リバースパワースラム(やわらか銀行)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:21:21.62 ID:xQMwhWBo0.net
右翼は自衛戦争だと言い 
左翼は侵略戦争だと言う 



49: ドラゴンスクリュー(dion軍)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:23:40.45 ID:lvQf8IwN0.net
>>43 
おしいな 
ウヨクは自衛戦争と言うが、侵略戦争と言ってるのは反日勢力で左翼とは違う 
特に日本のサヨクはイデオロギーとしての左翼と言うより単なる反日集団 



46: 毒霧(WiMAX)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:22:45.31 ID:j6WK3RqR0.net
列強の帝国主義の渦に流されないため、という意味では自衛だったかもしれん 
攻撃は最大の防御、という意味で 



50: カーフブランディング(神奈川県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:25:08.58 ID:lDvGy52o0.net
>>46 
海軍も最初は開戦渋ってたが、石油が入らない、このまま待っててもジリ貧だ、となって初めて賛成したらしいしね 
このままでは軍艦が「浮かぶアイロン」になる、みたいな感じで 



48: 断崖式ニードロップ(dion軍)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:23:37.51 ID:aAF1kZcP0.net
アジア解放はないけど、自衛という面は少なからずあった 



54: アイアンフィンガーフロムヘル(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:26:26.98 ID:1uqOMs+c0.net
ほっといたら侵略されるから自から打って出てアメリカに打撃を与えた後に少しでも有利に講和条約を結ぶ計画だったが 
開戦初期は予想以上に勝ってしまったので逆に後戻りできなくなった 
アジア開放は単なる苦し紛れの作文 
俗に言うプロパガンダ 

この程度の歴史すら知らない人が多くて驚愕するわ 



60: ファルコンアロー(庭)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:30:04.24 ID:XXWXFtwM0.net
もう少しうまく立ち回って時間稼ぎしてたら反共産主義でアジアでの日本の役割がまし確たる地位を築いてたのにね 



85: シャイニングウィザード(新疆ウイグル自治区)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:42:12.03 ID:iadW5Zvy0.net
侵略だ、自衛だって、時代や立場で評価がコロコロ変わってしまう物だと思う。 
ただ、負けた側がどこかで譲歩・妥協をするべきだった、となるのは仕方ない。 



89: ドラゴンスクリュー(愛知県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:43:19.02 ID:uZij9Okl0.net
自衛だから許される、侵略だから許されない、 
こんなのは欧米が勝手に作ったルール。 

そして、欧米は、自分たちが作ったルールを 
自分たちで平気で破ってきた。 

このルールは、欧米が自分たちがゲットした利益を 
綺麗事で封印して固定するためのものであって 
それを「正しいもの」として日本の正当性を議論してることが 
そもそも、あほう。 



102: ドラゴンスープレックス(芋)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:46:29.16 ID:LwGiqIuo0.net
結果アジアの解放に加担したのは誇っていいと思う 



108: ファルコンアロー(庭)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 19:48:34.03 ID:XXWXFtwM0.net
>>102 
イスラムゲリラも目指してるのはアラブ解放だっけ。 



171: 栓抜き攻撃(山形県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 20:13:40.60 ID:3uOoQF2+0.net
「太平洋戦争」は日本は戦ってない。 
日本が戦ったのは「大東亜戦争」だよ。 

先の大戦は日本の自衛戦争であることは間違いないが、 
国内は、糞「アジア主義」の似非馬鹿右翼とコミンテルンに洗脳されたマヌケ阿呆左翼が跋扈した糞な状況だった。 
こいつらがめちゃめちゃにしたし、泥沼に引きずり込んだし、日本の足を引っ張った。 

日本はアジアではない。日本は日本という正しい認識が足りなかった! 



182: ナガタロックII(catv?)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 20:18:10.35 ID:aYgoh6zf0.net
>>171 
太平洋戦争は南米であった戦争だっけか 



181: スターダストプレス(北海道)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 20:17:54.33 ID:6FJU9VKu0.net
アメリカを侵略する話がひとつでも出てきたか? 
それどころか、東南.アジアを中心に植民地にされていた国を占領指したあと、現地の人に独立をするように指示していただろ。 
事実として記録されているよな。 



318: ボマイェ(和歌山県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 21:02:05.93 ID:O7mgzLBZ0.net
歴史は何とでも見れて語れるから面白いんだろ 
例えば今やってる大河の黒田勘兵衛に出てくる石田光成のキャラは超悪役に描かれている 
というか最近までは光成はああいう糞みたいな人間のように言われていたわけだ 
しかし、じゃあ光成を超善人だったと主張する研究者が現れたらその研究者は悪人と呼ぶべきかい?違うでしょ? 
どっちが正しいとかは歴史を楽しむ上では余計な思考なわけ 

歴史は全てが正しくて全てが間違ってる 
侵略者といえばそうだしアジア解放のための戦争だったってのも正解なんでしょ 
>>1みたいなどちらの物の見方が正しいとか間違ってるとか考える時点でゴミなんだよね 



329: トラースキック(dion軍)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 21:13:21.94 ID:ADkusf5S0.net
>>318 
そのくらい昔の話になると現在の利害関係が関わってこないから楽しいよね 
第二次世界大戦の話はまだ比較的新しい話だから 
「自分たちに有利に働くように」という意識が抜け切れずそれによって 
解釈が歪んじゃったりするな 



508: 栓抜き攻撃(愛知県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 22:18:39.77 ID:XoL2ksf70.net
ほんと日本とイタリアとドイツのみが悪の帝国みたいな事言われてもな 
世界中に植民地もってた国いるやろと 



543: クロイツラス(WiMAX)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 22:28:47.01 ID:wxt8DyNr0.net
20141027214114_543_1

これが、1945時点の植民地地図だよ。 
世界の半分が植民地。 



557: キングコングラリアット(神奈川県)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 22:34:24.83 ID:0fLt5Z3+0.net
>>543 
19世紀末の植民地地図もくれね? 
そういう世界で植民地を持たない国が、どう勢力を広げようとしたかの参考的に面白い 



561: クロイツラス(WiMAX)@\(^o^)/:2014/10/26(日) 22:36:05.89 ID:wxt8DyNr0.net
>>557 
Wikipediaの植民地っていうところに有るよ。 
時系列で見れる。 
たしかに言うとおり、一気に増えていくさまが写ってる。 

http://ja.wikipedia.org/wiki/
植民地 

http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4597855.html引用

1:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:29:00.94 ID:6P82dOC70
アメリカ建国以前 
・清教徒革命→移民 
アメ「イギリス人たち聖書ないがしろにし過ぎぃ!もうイギリスはこりごりだよ!だから海渡ってきたよ!」 
イン「あんたら、海の向こうから来たって?大変だな。冬は厳しいから食べ物とかお裾分けするよ」
アメ「ありがとう!トウモロコシうまうま。七面鳥うまうま」 
※最初は割と良好な関係。移民してきたのは一応敬虔なキリスト教徒だし。ただし1620代から既に虐殺の記録がある。 
アメリカンジョークの面白さは異常
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4596664.html
インディ


3:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:30:33.66 ID:CE9oZyUk0
もう既に酷い 



4:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:30:58.14 ID:6P82dOC70
・アメリカ独立(1776)前 
アメ「ここからここまで僕の土地ね。インディアンは出てってね」(1778 最初のインディアン条約) 
イン「土地を持つって何?あ、ここらへんの土地一緒に使うってこと?わー贈り物だー」 
※そもそもインディアンに土地を所有するという概念が無かった。白人が商談を持ちかけられても「土地?いーよ使って」状態だった。 



6:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:31:23.18 ID:wgcprmS+0
感謝祭に七面鳥食うのって>>1のこれに感謝してるんやっけ? 



9:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:34:14.85 ID:6P82dOC70
一方で白人移民の基準では開拓した土地は自分のものだったので、白人は勝手に柵を作って土地の所有を宣言していった。自分の領土に勝手に入ってきたインディアンを撃ち殺しても合法。 
インディアンから見れば「一緒に使おうね!」って約束だったのに「出てけ!」と言われ仲間が殺されてくわけである。そりゃ怒る。 

「インディアン嘘つかない。白人みんな嘘つき」とはまさにこういう意味である。 

字の読めないインディアンに詐欺まがいの口約束で契約を持ちかけたり、話し合いの前に大量の酒を持ち込み酔いつぶれたところで契約、ひどいとそのまま皆殺しにするような悪辣な手法も行われた。 

このあたりからアメのぐう畜が目立つ 

>>6 一応そういうことになってる。ただかなり捏造と言うか、後々散々虐殺してるのにこの時だけ仲が良くて違和感がある。 



10:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:36:59.10 ID:6P82dOC70
イン「つーか見たことのない病気でヤバい。銃ヤバい馬ヤバい」 
一方移民によりヨーロッパから運ばれた菌に免疫のない先住民はバタバタ倒れていった。 
白人から馬や銃を手に入れて優位に立ち因縁の部族に戦争を仕掛ける部族も現れ始め、それを煽ることもあった。 
このようにインディアンはどんどん勢力を減らしていき、一方白人は東側から着々と開拓していった。 
結果1800年前後にはミシシッピー川より東のインディアンは「文明化5部族」みたいな例外を残しほぼ姿を消す 



11:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:39:45.32 ID:Oa/1UJBTO
文明化5部族って何 



14:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:43:20.13 ID:6P82dOC70
>>11 
農業とか、西洋文明の生活スタイルを取り入れて、白人におもねる代わりに最低限の生活(問答無用でぶっころされない)を補償された部族たちのこと。 
まあ強制移住とかさせられて散々だったんですけどね。 



18:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:46:58.87 ID:Oa/1UJBTO
>>14 
ありがとうあかたん 
インディアンについて学校では軽くしか触れなかったからわからなかったんだ 

>>18 
学校って日本の?そりゃやらないよねー。 



16:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:45:15.71 ID:hnwOrN3C0
白人「あいつら天然痘に弱いんじゃね?良いこと考えたわ」 

白人「こんちわ突然ですがこれあげます」 

イン「アリガトオレイニコレアゲマス」 

数日後インディアンは天然痘になり死亡とか鬼畜過ぎ 



19:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:48:04.94 ID:hnwOrN3C0
>>16で白人が渡したのは天然痘患者が使った毛布な 



17:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:46:55.26 ID:6P82dOC70
19世紀 
アメ「もう君たちみたいな野蛮人を交渉相手と認めないよ。君たち用の保留地をあげるからそこに移住してね!反論は許さないよ。従わない部族はGYAKUSATUだよ!大丈夫、移住先で君たちに『文明的な』生活を教えてあげるよ!」 
→インディアン強制移住法(Indian Removal Act, 1830)。オクラホマに強制移住させられる。移住の際にろくに食料や毛布等を与えられなかったため、移動中部族の何割かが死んだ部族もある。 
拒否ったらいかry 
一方で政府は西部開拓を進めた。 
空いた土地には白人が畑と牧場を作り、鉄道と電話線を引いた。 

白人「ふむ、すこしは文明的な眺めになったな」 



20:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:49:12.58 ID:6P82dOC70
イン「ここは父母の眠る土地だ!離れるわけにいかない!」 
→各種のインディアン戦争勃発。リトルビッグホーンの戦い、ウーンデッドニーの虐殺などが有名。 
直接的な戦闘も多いが、白人達はバッファローを大量に殺すことでインディアンを兵糧攻めにしていった。 
リトルビッグホーンの戦いなどインディアン側の数少ない勝利も、白人に反撃の大義名分を与えただけだったりする。 



22:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:46.55 ID:W5D7VrPO0
日本で例えたら江戸時代に白人が侵略してきて、現在は日本人は北海道や鳥取に数十万人しか生存していないような状況。 



27:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:55:33.11 ID:6P82dOC70
>>22 
まさしくそんな感じ。中国人かモンゴルでも可。実際チベットとかそんな感じだしねー。 
アメリカ大陸なかったらヨーロッパ人が真っ先に来るの日本だし、島じゃなく大陸と繋がってたらだいぶ違うだろうねー。 



23:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:50:50.49 ID:6P82dOC70
ちなリトルビッグホーンの戦いの経過とその後 

白人指揮官が無能で陸軍の一部隊が全滅 
 ↓ 
指揮官「インディアンが奇襲してきたから(震え声)」←大嘘 
 ↓ 
世論「卑怯なインディアンに鉄槌を!」 
 ↓ 
大部隊派遣 
 ↓ 
イン「ゆんやー」 



30:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 17:58:05.12 ID:6P82dOC70
アメ「部族ごとに土地をあげたけど、部族の身分によってもらえてない人がいるね?女が財産持つとかそもそもおかしいし。 
自由の国アメリカとしては許せないから、個人の土地に分けるね! 
あっそうそう、余った分は政府がもらうよ!(そしてその土地を鉄道会社に売って政府は大儲けだよ)」 
→ドーズ法(1887) 

部族ごとに与えられた土地を、個人に分配すると言う名目で施行された法律。 
部族に与えられていた土地を人数で割るのではなく、成人男性一人につき〇〇エーカー等決められて分配され、余りは全て政府の土地となった。 
大体半分弱、多いところでは9割が政府に取り上げられる形となった。 
さらにこの法にはインディアンに個人所有の概念を押し付けることで部族としてのまとまりを削ぐ目的があった。 
個人のインディアンに土地の売買や賃貸を持ちかけ、相手の無知をいいことに格安で土地を手に入れる白人農家が大量に出た。 
無論政府は見て見ぬ振り。 



33:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:02:07.38 ID:6P82dOC70
ちなみにこの頃、アメリカ政府の権限は大企業に比べると弱かった。 
起業家「線路作るから土地よこせ。税金かけたら・・・わかってるね?」ぺしぺし(札束ビンタ) 
米政府「ははー」 
意外に思うかもしれないが、今みたいなリーダーシップの強い政府は1900年頃、セオドア・ルーズベルトまで登場しない。 
米政府としては少しでも起業家たちに恩、もとい媚を売っておきたかったのである。 



61:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:55:56.00 ID:BZToIxZgP
>>33 
アメリカが小さい政府なのは共産主義vs資本主義のような 
理念からくるものじゃなくて、単に建国当時から企業が政府より強くて 
これがずっとつづいてただけなのか?もしかして 



66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:09:43.36 ID:6P82dOC70
>>61 
基本、市民の味方の民主党vs大企業の味方共和党のシーソーゲーム 
金ぴか時代(1880~1900年くらい)で企業が超強くなる 
→セオドア・ルーズベルト(民主党)が既得権益を規制 
→ニューディール政策~ウィルソン政権まで市民の味方政策 
(WW2で民主vs共和の対決は休止) 
ニクソン(70年代)から企業の味方政策 
→レーガンがグローバル化推進でこれを継承 

以後 
ブッシュ親:企業の味方 
クリントン:中立 
ブッシュ子:企業の味方 
オバマ:市民の味方 



34:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:05:48.76 ID:6P82dOC70
アメ「君たちはキリストの教えも英語も知らない野蛮人だから、僕らが教育してあげるよ。 
   君ら子供達のための学校をつくったよ!もちろん拒否は許さないよ!」 
→インディアン寄宿学校。 

要するに同化政策。各部族の子供達を一カ所に集めて「文明的な」教育を施す学校。 
英語の使用厳守、名前も西洋風のそれを使わせ、服装は洋服、キリスト教の教える。 
部族語を使ったら体罰や「汚い言語を使った」として石けんで口を濯がされたりされた。 
当時の集合写真があるが、子供が一人も笑っていない様は異様。 



35:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:08:07.27 ID:6P82dOC70
アメ「学校では技術を中心に教えるよ!これで仕事にもあぶれないね!(ゲス顔)」 
イン「故郷に町なんかねーよ!!!」 
教育も学術的なことは皆無で、革の加工、靴の製造、裁縫などの技術教育が主だった。 
だが靴の修繕を学んで保留地に帰っても靴屋なんかないのではっきり言って無意味だった。 
これによっていくつもの言語が断絶。後継者が絶えた文化は廃れた。 

1900年頃にはインディアンは力をほぼ失い、時代から取り残されてく。 
ぶっちゃけ弱体化しすぎてろくに教科書に出てこなくなる。 



36:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:11:28.02 ID:Ch4+ELct0
インド人はいつ出てくるの? 



38:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:14:20.49 ID:6P82dOC70
>>36 
インディアンってなんだよ、インド人じゃねーじゃんって思うじゃん? 
コロンブスが言ったかどうかはさておき、もう400年近く使われてる名称。 
そもそもコロンブスの時代、ヨーロッパの人からすれば中東より東=インドくらいの認識。コロちゃんはガイジンぐらいの感覚でしか使ってない。 
とにかく下手な国の歴史より使われてる期間が長いし「インディアン」としてアイデンティティを作るには十分。 
実際60年代にインディアンの部族長だかが 

「俺たちはインディアンだ!ネイティブアメリカンなんかじゃない!俺たちから今度は民族の名前も奪うのか!」 

ってスピーチしてる。 



40:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:18:45.14 ID:Oa/1UJBTO
>>38 
意外だ自分からインディアンを名乗っているのか 



37:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:11:34.61 ID:6P82dOC70
第2次大戦中 
アメ「ちょうどいい荒野があるし、実験に使おう!国家の一大事だしね!」 
→インディアン保留地でプルトニウム精製+核実験のコンボ 
イン「俺たちの・・・土地が!おまえたちが与えた!猫の額のような土地すら、奪うのか!!!」 
アメ「(うるさいなあ)この土地は『国家の犠牲地域』と呼ぶことにしたよ!名誉なことだよ!」 
これに関して政府の保障等は目立って行われていない。 

正直この所行が一番鬼畜な気がする。「民主主義云々。ヒトラー許すまじ」とか言いながらこれだぜ? 



42:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:23:17.12 ID:t6/m/JYQ0
うーん、見事な手並みだね 
きれい事だけで大国になった国はないってことだね 



44:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:25:33.60 ID:6P82dOC70
戦後 
イン「俺たちの土地は荒野だし、農業やっても儲からないし・・・。そうだラスベガスみたいなカジノ作ろう!」 
アメ一般人「地域の風紀や治安が悪化する!ギャンブル反対!カジノ反対!」 
イン「てめーらの先祖のせいでこちとら仕事も金もないんじゃボケぇ!」 
→裁判 
裁判官「インディアンカジノ認めるよ」(1981) 



48:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:32:47.19 ID:qPVNSYwu0
インディアンのマフィア的な組織ってあるのかな 



50:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:36:44.81 ID:6P82dOC70
>>48 
1900年以降、マフィアっぽい組織を組織力、資金力がそもそもインディアンに残されてない。 
むしろ麻薬売られるカモ。 



49:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:34:35.84 ID:6P82dOC70
ちょっと後 
アメ(うーんカジノ作られまくると白人の支持がなー。かと言って禁止にするとリベラル派の連中が・・・) 
アメ(そうだ!)ピーン 
アメ「部族復興のためにインディアンカジノの存在は認めるよ。 
   ただし部族の保護が目的だから、現存する部族しか認可しないよ。 
   人数少ない部族は小さいカジノしか作っちゃだめね」 
イン「てめーらが絶滅させたんだろうが!」 
→インディアン賭博規制法(1987) 
これによりアメリカ東部にルーツを持つ多くの部族は「絶滅」しているとしてインディアンカジノを開く認可が得られなくなった。 
例えばインディアナ州に昔インディアンはいたけど、部族としてはもう体を成してないとしてインディアンカジノは一つも認可されてない。(白人経営の普通のカジノは州内に14もある) 

全体的に西アメリカ。カルフォルニアとかに多い。 
http://www.nigc.gov/Reading_Room/List_and_Location_of_Tribal_Gaming_Operations.aspx 



55:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:47:28.49 ID:6P82dOC70
20世紀初頭のインディアンの人権活動家が現れる頃には、比較しがたい格差が出来ており、 
インディアン固有の文化、伝統、宗教、言語、アイデンティティー等の多くが失われた。 
よく人種差別の対象として黒人の例が上がるが、彼らはまだ白人の差別に抗する力があった。 
歴史上、インディアンには抵抗の機会すらろくに与えられなかった。 

現在においても、他の人種とインディアンの間には隔絶した格差が存在している。 
今では一部の部族が観光とインディアンカジノでやっと食っていけるくらいで、 
失業率は全米平均の3~10倍、若者の自殺率3倍、平均寿命50代、アル中率激高などとにかく悲惨。 
前述したドラッグもメキシコに近い地域を中心に被害に相当あってると思われる。 

本当の民族浄化というのはこうやるのである。 
インディアン達の明日はどっちだ。 



58:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:52:24.31 ID:6P82dOC70
書き溜めは以上で終わりだけど、米国史全般、特に差別とか公民権運動の関連で質問ある? 



62:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:56:01.53 ID:7xkcQYGj0
>>58 
KKKってどっから来てどこへ行ったの? 



68:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:16:00.69 ID:6P82dOC70
>>62 
KKKは元々南部の自警団。 
白人が「黒人が自由になったら、俺たち復讐されんじゃね?」って恐怖から生まれた。 
一種の社交倶楽部みたいな集まりになって、白人の結束を強くしたけど、 
調子に乗った若いヤツがリンチ殺人とかして常識あるヤツは「俺たち抜けるわ」って抜けた。 
一時期はワシントンDCでパレードするくらいの勢力だったけど、以後没落。 
wikiの時代ごとのメンバー数の推移を見るといいよ。 



60:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 18:54:27.48 ID:qPVNSYwu0
黒人とインディアンはどっちの方が差別されてたの 



66:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:09:43.36 ID:6P82dOC70
>>60 
どっちもどっち。ただし黒人はリンカーン(白人)が事実上の「差別してごめんね」をしたし、数が多かったので差別に抵抗出来た。インディアンはできなかった。 



64:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:06:37.91 ID:ME1Bi85M0
言えることは知恵を付けないと淘汰されるってことだな 
しかし知恵をつけてもそういう取り決めは自分たちが蚊帳の外になってる状態で行われる 



74:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:24:26.08 ID:tGL6+/Eu0
>>64みたいなことがあるからTPPとかその他のいろんな国際的な会議に顔出しまくってるのかね、日本は 



79:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:34:04.13 ID:6P82dOC70
>>74 
基本そうかな? 
ODAとかを出す意義は、例えばオレらの孫の代でアフリカ開発する時「昔から助け合った仲だろ?」って言ってスムーズにその国の経済に参加するための戦略だし。 



71:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:20:43.38 ID:i/1m9e0m0
ユダヤ人はいつ出てくるの? 



76:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:27:11.45 ID:6P82dOC70
>>71 
アメリカの歴史の授業での「ユダヤ人の出てこなさ」は異常。般教レベルの教科書だと、 
1800年代後半の「遅れてきた移民」として来ましたよ~って話と、 
原爆製作にドイツからのユダヤ系の科学者が活躍しましたよ~って話ぐらいしか出てこない。 



75:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:24:57.60 ID:BpRhi6sQO
コロンブスがアメリカを発見しなかったらヨーロッパが世界大国になったのかしらね 



80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:37:48.92 ID:6P82dOC70
>>75 
大航海時代の南北アメリカ開発のエネルギーが東に向かうのかな? 
東欧がもっと発達してた、地中海の沿岸・アフリカ北部なんかがもっと開発されてた、 
長期的にはスエズ運河がもっと早く完成してた、とかありそう。 



78:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:32:48.97 ID:i/1m9e0m0
なんでこんな米史詳しいの? 



80:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:37:48.92 ID:6P82dOC70
>>78 
アメリカの駅弁で社会科系の学位取得中だから。今冬休み。 



81:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:39:54.91 ID:BZToIxZgP
アメリカの大学はどういうふうに勉強するの宿題とかテストとか 
基本教科書よむだけ? 



83:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:46:14.31 ID:6P82dOC70
>>81 
高校レベルまではひたすら暗記。日本と大差ない。 
大学レベルでは「当時の社会背景」「人物・政策・事件の歴史的意義(後世への影響)」なんかを重要視する。 
レベルが高いほどwhatではなくwhyを論じる感じ。 

勉強は一言で言うと課題が多い。 
前期後期の2学期制で、1学期週2の講義で、 
・レポート2本 
・小テスト7~8回 
・中間(記述) 
・期末(記述) 
 +出席点があるかな?という感じ。 

むしろ教科書を暗記するだけじゃテストの点が取れないようにできてる。 



82:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:43:22.59 ID:Oa/1UJBTO
アメリカの歴史の授業で第二次対戦のとき居心地悪かったんだけど 
>>1はDO? 



84:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:51:16.05 ID:6P82dOC70
>>82 
ドクター取るほど高尚な学問の徒じゃねーっす。 
今はセカンドバチェラー(第二学位)を取得中。歴史はマイナー(副専攻)でぶっちゃけ趣味です。 

WW2の話は意見が偏るのはしゃーない。むしろ日本で習った視点を紹介するぐらいの気でOK。 
実際オレらの目線も日本よりに偏っているわけだし。その違いを楽しめばいい。 
まあ教師がハルノート知らないのはびびったけど。 



87:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:59:19.28 ID:Oa/1UJBTO
>>84 
ありがとう 
このスレとても勉強になりました 



86:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 19:55:09.11 ID:i/1m9e0m0
あっちの教育方法は作文書かせまくるんだよな 
作文って思考しないと作れないし 
暗記まみれの日本より効率的 



89:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 20:02:26.54 ID:6P82dOC70
>>86 
大学に作文の添削センターが必ずあるから作文は時間さえかければ点が取りやすいよ 



91:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 20:06:39.80 ID:6P82dOC70
あと、歴史は記述多いけど他の科目はほとんどマークシートのテストだよ。 

それじゃあオレは落ちます。 
ノシ 



93:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2013/12/27(金) 20:11:35.60 ID:i/1m9e0m0
おつ